柿本神社(読み)かきのもとじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「柿本神社」の意味・読み・例文・類語

かきのもと‐じんじゃ【柿本神社】

[一] 兵庫県明石市人丸町にある神社。旧県社。祭神柿本人麻呂人丸神社
[二] 島根県益田市にある神社。旧県社。祭神は柿本人麻呂。和銅年間(七〇八‐七一五)、人麻呂永眠の地とされる鴨島に社殿を建立。延宝九年(一六八一)現在地に移転。人丸神社。

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デジタル大辞泉 「柿本神社」の意味・読み・例文・類語

かきのもと‐じんじゃ【柿本神社】

柿本人麻呂を祭神とする神社。終焉の地とされる島根県益田市や兵庫県明石市などにある。人丸神社。

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日本歴史地名大系 「柿本神社」の解説

柿本神社
かきもとじんじや

[現在地名]益田市高津町

高津川左岸、東へ張出したかも山にあり、主祭神は柿本人麻呂命。旧県社。神亀元年(七二四)柿本人麻呂が没した鴨島に社殿が建立されていたが、万寿三年(一〇二六)の地震による大津波のために島は海中に没したという。このとき神体が松崎まつさきに漂着し、この地に社殿を再建。延宝九年(一六八一)津和野藩主により現在地に移転再建された。霊元上皇の時、和歌において当社をとくに崇敬され、古今伝授にあたり当社に祈祷を命ぜられた。

柿本神社
かきのもとじんじや

[現在地名]天理市櫟本町高品

JR櫟本いちのもと駅の東、櫟本小学校西隣の柿本寺の境内跡に鎮座。祭神大己貴おおなむち命。もと柿本明神と称し、現櫟本町の和爾下わにした神社前のうた塚近くにあったが、室町時代の柿本寺の移転に伴い鎮守として遷座された。鎌倉時代の柿本宮曼荼羅図(国指定重要文化財、大和文華館蔵)には、歌塚の西に三間社切妻造の社殿らしい建物が描かれている。柿本人麻呂信仰は平安末期に藤原清輔が供養の卒塔婆を建立したのを契機に盛んとなり(清輔集)、人麻呂塚を訪れるものが跡を絶たなかった。

柿本神社
かきのもとじんじや

[現在地名]新庄町大字柿本

柿本集落の西に鎮座。祭神は柿本人麻呂。境内には柿本寺ともよばれた影現ようげん寺がある。旧村社。社伝によると、宝亀元年(七七〇)石見で死去した柿本人麻呂の遺骸をこの地に葬り、その傍らに神社を建立したと伝える。本殿脇に人麻呂塚があり、天和元年(一六八一)大和郡山藩主松平信之建立の石碑が建ち、林整宇の撰文を刻す。信之は当地領主で、以前に播州明石あかし(現兵庫県明石市)在住の時も、明石の人麻呂神社に石碑を建立している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「柿本神社」の意味・わかりやすい解説

柿本神社
かきのもとじんじゃ

島根県益田(ますだ)市高津町に鎮座。柿本人麻呂(ひとまろ)を祀(まつ)る。人麻呂は石見(いわみ)国(島根県)で没したと伝えられ、没後鴨(かも)島に祠(ほこら)をつくり、別当寺人丸寺(ひとまろでら)を建立して奉祀(ほうし)した。のち祠殿(しでん)は地震で海底に沈んだが、江戸時代に入り津和野藩主亀井(かめい)氏が現在地に社殿を造営。以後、朝廷、藩主の崇敬厚く、1000年祭の1723年(享保8)柿本大明神の社号と正一位の神階を与えられた。社領は13石。旧県社。例祭4月15日。「柿本社御法楽短冊」は国の重要美術品。

[阪本是丸]

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デジタル大辞泉プラス 「柿本神社」の解説

柿本(かきのもと)神社

兵庫県明石市、明石海峡大橋を望む人丸(ひとまる)山の高台にある神社。旧県社。飛鳥時代の歌人、柿本人麻呂を祀る。「人丸神社」「人丸さん」などとも呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内の柿本神社の言及

【明石[市]】より

…《古今集》巻九羇旅には〈ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ〉の歌があり,柿本人麻呂作と伝える。これにちなみ,人丸山上には人丸神社(柿本神社)がある。また,《源氏物語》には〈明石〉巻があり,流謫(るたく)の光源氏が明石上(あかしのうえ)と結ばれた舞台とされている。…

※「柿本神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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