柴田南雄(読み)シバタミナオ

デジタル大辞泉 「柴田南雄」の意味・読み・例文・類語

しばた‐みなお〔‐みなを〕【柴田南雄】

[1916~1996]作曲家。東京の生まれ。雄次の子。東京芸大教授。二十世紀音楽研究所を設立前衛音楽リーダーとして活躍した。十二音技法歌曲「朝の歌」の他、「コンソート‐オブ‐オーケストラ」「追分節おいわけぶし考」「ゆく河の流れは絶えずして」などの作品がある。平成4年(1992)文化功労者

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百科事典マイペディア 「柴田南雄」の意味・わかりやすい解説

柴田南雄【しばたみなお】

作曲家。東京に生まれ,東大理学部植物学科に在学中から諸井三郎〔1903-1977〕らに作曲を学ぶ。1948年,初期の代表作となった歌曲集《優しき歌》を発表。海外の音楽思潮の研究に打ち込む一方,1957年入野義朗〔1921-1980〕らと〈20世紀音楽研究所〉を組織し,軽井沢での定期演奏会で内外の現代作品を紹介。ミュジック・セリエル技法による管弦楽曲シンフォニア》(1960年)などを書く。1970年代には民謡研究を土台に,《追分節考》(1973年),《念仏踊》(1976年)などのシアター・ピース約20作を相次いで発表し,日本の現代音楽に前例のないジャンルを開拓した。ほかに,世阿弥による混声合唱曲《花伝書》(1971年),合唱と管弦楽のための《ゆく河の流れは絶えずして》(1975年)など。東西の音楽に広く通じ,著作や放送を通じての啓蒙活動の功績も大きい。→電子音楽ミュジック・コンクレート
→関連項目音楽祭吉田秀和

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柴田南雄」の意味・わかりやすい解説

柴田南雄
しばたみなお

[生]1916.9.29. 東京
[没]1996.2.2. 東京
作曲家,音楽評論家。 1939年東京帝国大学植物学科,43年同大学美学美術史科卒業。幼少から母にピアノを学び,高校時代よりチェロを始める。大学入学後に本格的に作曲を学びはじめ,細川碧,諸井三郎師事。みずからの作曲活動を3期に分けており,第1期は 41~51年の「西洋音楽史演習時代」。叙情的な作風で,歌曲集『優しき歌』 (1946~48) に代表される。第2期は 51~63年の「無調時代」で,歌曲『朝の歌』 (52) など 12音技法による作品や『記号説』 (54) などのセリー技法を用いた作品がある。 57年,入野義朗,黛敏郎,諸井誠らと「二十世紀音楽研究所」を結成。一方お茶の水女子大学,東京芸術大学などで教鞭をとる。第3期は J.ケージが日本に紹介されたのち,その理論である偶然性 (→偶然性の音楽 ) を用いて作曲した『夜に詠める歌』 (63) に始る。また,邦楽器を用いた作品を発表,日本民謡の採集・研究も行い,『追分節考』 (72) などに結実させた。そのほか,西欧現代音楽の紹介・分析などの評論活動も行なった。主著『音楽の骸骨のはなし』 (78) ,『グスタフ・マーラー』 (84) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「柴田南雄」の意味・わかりやすい解説

柴田南雄
しばたみなお
(1916―1996)

作曲家。東京生まれ。1939年(昭和14)東京帝国大学理学部植物学科を、43年同大学文学部美学科を卒業。在学中から作曲を諸井(もろい)三郎に師事。46年(昭和21)若手作曲家のグループ「新声会」を結成し、叙情的な声楽曲や合唱曲の作曲家として出発した。50年代からは入野義朗(いりのよしろう)とともに十二音技法による作曲活動を続けると同時に、放送や評論活動を通して、西洋の中世から現代までの音楽を紹介した。60年代以降はジョン・ケージの偶然性の音楽や日本の伝統芸能に興味をもち、演奏会場のステージから客席までの空間を利用した「シアター・ピース」を発表。また70年代以降は引用やコラージュの技法を用いた新しい作風を示した。主要作品に歌曲集『優(やさ)しき歌』(1946~48)、管弦楽曲『シンフォニア』(1960)、合唱曲『花伝書』(1971)、『追分節考』(1973)、交響曲『行く河の流れは絶えずして』(1975)など。著書に『音楽の骸骨(がいこつ)のはなし』(1978)などがある。

[船山 隆]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柴田南雄」の解説

柴田南雄 しばた-みなお

1916-1996 昭和後期-平成時代の作曲家。
大正5年9月29日生まれ。柴田雄次の子。諸井三郎,池内友次郎に師事。昭和27年十二音技法をとりいれた歌曲「朝の歌」を発表,32年二十世紀音楽研究所を設立,前衛音楽のリーダーとして多様な作品を作曲した。41年東京芸大教授。平成4年文化功労者。平成8年2月2日死去。79歳。東京出身。東京帝大卒。作品はほかに「コンソート・オブ・オーケストラ」「追分節考」など。

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世界大百科事典(旧版)内の柴田南雄の言及

【十二音音楽】より

… 十二音技法は第2次世界大戦後世界的に広まり,多くの作品を生み出したが,ブーレーズはセリーの思考を音高以外の要素(音価,音強,音色)にまで適用したミュジック・セリエルに発展させた。日本では入野義朗,柴田南雄らによって導入され,入野は《7楽器のための室内協奏曲》(1951)で日本最初の十二音音楽を書いた。【佐野 光司】。…

【ミュジック・コンクレート】より

… 日本ではシェフェールの動きとは無関係に武満徹が同様の音楽を発想していたが,パリ留学で実際にミュジック・コンクレートに触れた黛敏郎(1929‐97)の帰国後,本格的な作品が作曲されるようになった。日本における初期のミュジック・コンクレートとしては,黛敏郎の《XYZ》(1953),柴田南雄(1916‐96)の《立体放送のためのミュジック・コンクレート》(1955),武満徹の《ルリエフ・スタティク》(1955)などがある。現代音楽【武田 明倫】。…

※「柴田南雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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