松花堂昭乗(読み)ショウカドウショウジョウ

デジタル大辞泉 「松花堂昭乗」の意味・読み・例文・類語

しょうかどう‐しょうじょう〔シヨウクワダウセウジヨウ〕【松花堂昭乗】

[1584~1639]江戸初期の僧・書画家。和泉国堺の人。号、惺々翁・空識。松花堂は晩年の号。男山石清水八幡宮滝本坊の住職。真言密教を修め、阿闍梨あじゃり法印となる。書は寛永の三筆一人で、御家流大師流を学び、松花堂流を創始。また、枯淡な趣の水墨画を多く描いた。

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精選版 日本国語大辞典 「松花堂昭乗」の意味・読み・例文・類語

しょうかどう‐しょうじょう ショウクヮダウセウジョウ【松花堂昭乗】

江戸初期の真言宗学僧。能筆家で寛永三筆のひとり。俗姓は中沼。名は式部。別号は惺々、空識。摂津国堺の人。石清水男山八幡の社僧となり、晩年は八幡宮の泉坊に松花堂を営んで移り住んだ。書道松花堂流の開祖。また、水墨画や彩色画にも長じ、茶人としても著名。天正一二~寛永一六年(一五八四‐一六三九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松花堂昭乗」の意味・わかりやすい解説

松花堂昭乗
しょうかどうしょうじょう
(1584―1639)

江戸初期の僧。書画をよくした。堺(さかい)の人で、幼名を辰之助(たつのすけ)、のち式部と改める。17歳で男山石清水八幡宮滝本坊(おとこやまいわしみずはちまんぐうたきもとぼう)の社僧となり、実乗(じつじょう)(?―1627ころ)、実弁(じつべん)に師事して真言密教を修め、阿闍梨(あじゃり)となる。のち滝本坊住職となり、法名を昭乗、惺々翁(せいせいおう)、空識(くうしき)と号した。晩年は住坊の南に松花堂を構え、自らの号として、風雅三昧(ざんまい)の隠居生活を送った。和歌、連歌(れんが)に長じ、茶道をたしなむ文化人として聞こえたが、書画骨董(こっとう)の鑑識にも優れ、蒐集(しゅうしゅう)した茶器は「八幡(やわた)名物」として知られている。また大師(だいし)流の書をよくし、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、近衛信尹(このえのぶただ)とともに「寛永(かんえい)の三筆」の一人に数えられ、その書流は「滝本流」の名で江戸期を通じて長く流行した。画(え)は狩野山楽(かのうさんらく)に学んだといわれ、彩色画もよくしたが、晩年には洒脱(しゃだつ)な水墨画を多く描いた。

[神崎充晴 2017年8月21日]

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改訂新版 世界大百科事典 「松花堂昭乗」の意味・わかりやすい解説

松花堂昭乗 (しょうかどうしょうじょう)
生没年:1584-1639(天正12-寛永16)

江戸初期の文人,書家,画人。山城男山八幡宮(石清水八幡宮)滝本坊の真言僧で,俗姓中沼,名は式部といった。20歳で得度し真言密教を修め,阿闍梨(あじやり)法印に至ったが,晩年は滝本坊を弟子に譲り,男山の南に松花堂を営んで小堀遠州石川丈山,狩野探幽らと交わり,文墨,茶に親しんだ。書は近衛竜山御家流(おいえりゆう)を学び,やがて大師流の書法などをあわせ,瀟洒(しようしや)な書風を完成して本阿弥光悦,近衛信尹とともに〈寛永の三筆〉あるいは〈洛陽の三筆〉とうたわれた。水墨画や大和絵着色画,仏画にも長じたが,狩野山楽に学んだとも,自ら牧谿(もつけい)を慕って技風を得たともいい,当時の専門画家の域にまで達していた。滝本坊は乗淳,憲乗,乗円とうけつがれ,彼らもまた書,画技に長じて代々松花堂(流)を名乗った。昭乗の水墨画は茶席でことに重んじられるが,遠州らとの交わりの中で茶をみがいたといい,遠州と並んで茶道大成者の一人に数えられる。公家や文人を招いた松花堂の茶会交友のようすは《松花堂茶会記》に詳しい。
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朝日日本歴史人物事典 「松花堂昭乗」の解説

松花堂昭乗

没年:寛永16.9.18(1639.10.14)
生年:天正12(1584)
桃山・江戸初期の学僧,書画家。中沼左京亮元知の弟として摂津国堺(大阪府)に生まれる。俗名は中沼式部,号は 惺々翁,空識,晩年に松花堂と号した。17歳で男山石清水八幡宮に上り出家,滝本坊実乗に仕え,真言密教をおさめて阿闍梨法印の位についた。実乗没後,寛永4(1627)年44歳のとき,滝本坊住職となった。書は尊朝法親王に青蓮院流を学び,また空海の書を慕って大師流を修得して,自らの書風を確立した。漢字は空海の唐風,かなは平安時代の和風を復興したもので松花堂流または滝本流という。松花堂流はのちに流行し,昭乗の書跡は多数刊行された。本阿弥光悦,近衛信尹と共に寛永の三筆といわれている。画は狩野山楽に学んだといわれ,さらに土佐派を折衷して,彩色の密画もよくしたが,晩年には枯淡な水墨画を多く描き,歌絵屏風や道釈画などを遺した。作例に「葡萄に鶏図」(松阪・長谷川家蔵)など。また茶人としても有名で,小堀遠州について遠州流を修め,その収集した茶道具は「八幡名物」と呼ばれ,後世「松花堂好み」として模された。昭乗の名声は高く,近衛家の恩顧を受けて広く公家に出入し,また烏丸光広,林羅山,石川丈山などと交流があった。そのひとり佐川田昌俊が『松花堂昭乗上人行状記』(1639)を書いている。56歳で没し,山城の円福寺別寺に葬られた。<参考文献>春名好重『寛永の三筆』,土居次義「画人としての松花堂」(『淡交』48号),大和文華館『松花堂昭乗展/図録』

(河野元昭)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松花堂昭乗」の意味・わかりやすい解説

松花堂昭乗
しょうかどうしょうじょう

[生]天正12(1584).和泉
[没]寛永16(1639).9.18. 山城,伏見
江戸時代初期の学僧,書家,画家,文人,茶人。名は式部。摂津の喜多川氏の出であるというが詳細は不明。慶長5 (1600) 年,山城国石清水八幡宮の滝本坊実乗のもとで社僧となり,昭乗と称して仏法を修めた。実乗の死後は住職となったが,その座を弟子に譲り,同 14年以後は滝本坊の南に松花堂と名づける隠居所を設けて移り,みずからも松花堂と称した。書は初め御家流 (→青蓮院流 ) を学び,次いで空海の大師流を研究,のち滝本流または松花堂流と呼ばれる流儀を完成し,本阿弥光悦,近衛信尹 (のぶただ) と並ぶ「寛永の三筆」の一人として名声を得た。絵は狩野山楽に師事したと伝えられ,さらに牧谿や因陀羅に私淑して花鳥画,人物画を得意とした。茶の湯は小堀遠州との交歓によって修め,ともに茶の湯芸術の完成に貢献した。書画の主要遺品『和漢朗詠集』 (京都国立博物館) ,『三十六歌仙色紙帖』 (東京国立博物館) ,『僧形八幡像』 (1639,石清水八幡宮) ,『月自画賛』など。

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百科事典マイペディア 「松花堂昭乗」の意味・わかりやすい解説

松花堂昭乗【しょうかどうしょうじょう】

江戸初期の書家,画家。号は惺々翁。男山八幡滝本坊の僧となり,密教の教義に通じる一方,禅僧,茶人,公家らと親しく交際し,書画に才能を発揮。晩年滝本坊を弟子に譲り,松花堂に隠棲(いんせい)した。書家としては大師流に長じ,近衛信尹(のぶただ),本阿弥光悦とともに寛永三筆に数えられる。絵は水墨による花鳥画人物画を得意とし,独特の滋味あふれる画風を示す。代表作《待漏院記》《葡萄と鶏図》。
→関連項目狩野山楽

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松花堂昭乗」の解説

松花堂昭乗 しょうかどう-しょうじょう

1584-1639 江戸時代前期の僧,書家。
天正(てんしょう)12年生まれ。京都石清水(いわしみず)八幡宮滝本坊の住職。書は松花堂流,滝本流とよばれる。本阿弥光悦,近衛信尹(このえ-のぶただ)とならんで寛永三筆のひとり。画,茶もよくし,水墨画に「葡萄(ぶどう)に鶏図」がある。寛永16年9月18日死去。56歳。堺(大阪府)出身。俗名は中沼式部。別号に惺々翁。

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旺文社日本史事典 三訂版 「松花堂昭乗」の解説

松花堂昭乗
しょうかどうしょうじょう

1584〜1639
江戸初期の文人・書画家
堺の人。石清水 (いわしみず) (男山)八幡宮滝本坊の社僧。近衛信尹 (のぶただ) ・沢庵・林羅山らと交わり東山文化を継承。書は寛永三筆の一人に数えられ,水墨画・大和絵・茶道にも長じた。

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世界大百科事典(旧版)内の松花堂昭乗の言及

【三筆】より

…ほかには江戸時代に日本へ渡った黄檗(おうばく)宗の3僧,隠元,木庵(もくあん)(1611‐84),即非(そくひ)(1616‐71。諱は如一(によいち),木庵の法弟)を〈黄檗の三筆〉,また近衛信尹(のぶただ)(号は三藐院(さんみやくいん)),本阿弥光悦松花堂昭乗を〈寛永の三筆〉と呼ぶが,この呼名もおそらく明治以降であろうといわれ,1730年代(享保年間)には寛永三筆を〈京都三筆〉と呼んでいる。また巻菱湖(まきりようこ),市河米庵貫名海屋(ぬきなかいおく)(菘翁(すうおう))の3人を〈幕末の三筆〉という。…

【書】より

…伏見宮尊朝法親王は青蓮院流でもとくに尊朝流と呼ぶ名筆で知られる。公卿では青蓮院流から近衛流を創始した近衛前久(さきひさ)があり,とくにその子近衛信尹(のぶただ)は強い筆線で大字の仮名に異色の書風を現出し,三藐院(さんみやくいん)流と称され,江戸初期の本阿弥光悦,松花堂昭乗とともに〈寛永の三筆〉と呼ばれる。その大字屛風は当時盛行した障壁画に伍して和様の書を迫力ある作品にしあげている。…

※「松花堂昭乗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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