松浦氏(読み)まつらうじ

百科事典マイペディア 「松浦氏」の意味・わかりやすい解説

松浦氏【まつらうじ】

近世大名肥前(ひぜん)平戸藩主。松浦一族の峯氏の子孫。松浦一族は嵯峨源氏末裔と伝え,源姓で一字名であるのが特徴。平安時代に中央から下向し松浦(まつうら)地方(現佐賀県東・西松浦郡,長崎県北松浦郡)に土着宇野御厨の贄人(にえびと)として活動。この地方の住人は早くから海外貿易に従事,多くの弱小武士団を形成して多島海沿岸に割拠し,松浦一族も含めて松浦党と呼ばれた。南北朝時代には青方(あおかた)氏のように松浦一族以外の他氏族も松浦一族であることを積極的に主張,共和的団結を図っていた。室町時代になると団結は崩壊して抗争を繰り返したが,戦国時代平戸松浦氏が諸氏征服壱岐も支配下に入れ,近世平戸藩を形成。
→関連項目松浦荘

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松浦氏」の意味・わかりやすい解説

松浦氏
まつらうじ

嵯峨源氏(さがげんじ)の子孫と称する肥前国(ひぜんのくに)松浦(まつら)郡(佐賀県東松浦(ひがしまつうら)郡・西松浦郡、長崎県南松浦郡・北松浦郡)に居住した一族の呼称。源姓で一字名を名のることを特徴とする。平安時代から松浦地方に土着したことから、松浦氏を姓とした。その始祖を、1069年(延久1)摂津国渡辺荘(わたなべのしょう)(大阪市)から肥前国宇野御厨検校(うののみくりやけんぎょう)として下向してきた源久(ひさし)とする説があるが信じがたい。平安末には武士化して、郡内各地に割拠し、それぞれの土着した土地名を姓とした。しかし松浦氏一族であるとの意識を有しており、土着した地名に基づく姓のかわりに松浦氏を名のることもあった。とくに南北朝時代以降は、土地名による姓の上に松浦を付すことによって、松浦一族を強調することが行われるようになり、本来松浦一族でない松浦地方の住人まで松浦一族と称することになった。戦国時代、平戸(ひらど)松浦氏が勢力を伸長して周辺の在地勢力を統一し、1587年(天正15)豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって、それまで支配していた所領を安堵(あんど)された。江戸幕府成立後、石高(こくだか)6万3200石の近世大名となり、平戸に居城を構えた。明治以後、伯爵を与えられた。

[瀬野精一郎]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「松浦氏」の意味・わかりやすい解説

松浦氏 (まつらうじ)

〈まつうら〉とも読む。肥前国(長崎県)平戸藩主中世に松浦地方で同族組織を形成した松浦党に出自をもち,北松浦郡と壱岐国を領有する戦国大名に発展した。1587年(天正15)豊臣秀吉に本領を安堵され,近世大名となった。石高は6万3200石,のち旗本分知により6万1700石となる。1689年(元禄2)平戸新田藩(1万石)を創設した。初代藩主鎮信(しげのぶ)(法印)以降11代を経て明治維新を迎えた。のち伯爵。9代藩主清(静山)の《甲子夜話(かつしやわ)》は著名。
平戸藩
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松浦氏」の意味・わかりやすい解説

松浦氏
まつらうじ

平安時代以来,肥前松浦 (まつら) 地方に勢力をふるった一族で,嵯峨源氏を称した。海賊水軍として活躍して松浦党と呼ばれた。のち鎌倉御家人となり,その一流松浦隆信は天正 15 (1587) 年豊臣秀吉にくだり,関ヶ原の戦いには東軍に属し,本領肥前平戸を安堵され近世大名に発展,平戸藩主として明治にいたり,伯爵。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「松浦氏」の解説

松浦氏
まつらし

中世〜近世,九州の肥前地方を領有した大名
鎌倉時代から室町末期にかけて発展し,武士団の党的結合によって松浦党と呼ばれて団結していた。初め少弐氏,つづいて大内氏・竜造寺氏に属したが,豊臣秀吉の九州征伐で秀吉に降り,関ケ原の戦い(1600)で徳川方につき平戸6万石の藩主となった。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松浦氏の言及

【松浦氏】より

…〈まつうら〉とも読む。肥前国(長崎県)平戸藩主。中世に松浦地方で同族組織を形成した松浦党に出自をもち,北松浦郡と壱岐国を領有する戦国大名に発展した。1587年(天正15)豊臣秀吉に本領を安堵され,近世大名となった。石高は6万3200石,のち旗本分知により6万1700石となる。1689年(元禄2)平戸新田藩(1万石)を創設した。初代藩主鎮信(しげのぶ)(法印)以降11代を経て明治維新を迎えた。のち伯爵。…

【壱岐島】より

…こうして波多氏の支配は弱体化し,かわって日高氏の勢力が台頭した。しかし日高氏も戦国大名化することができず,71年(元亀2)日高氏,立石氏などが平戸の松浦隆信の家臣となったことによって,壱岐は平戸松浦氏の支配下に入った。その後松浦氏は対馬宗氏と対立関係におちいり,84年(天正12)には壱岐の兵船が対馬三根郡を攻撃し,86年2月にも対馬仁位郡を攻撃したが,いずれも撃退された。…

【肥前国】より

…竜造寺氏は肥前国に進出してきた大友氏に対抗するため大内氏に接近し,さらに大内氏滅亡後は毛利氏と結び,肥前各地の土豪を征服し,戦国大名として急速に発展した。このほか後藤氏,波多氏,松浦氏大村氏有馬氏などの諸豪族が輩出したが,78年(天正6)ごろには竜造寺隆信によってほぼ肥前全域は平定された。ところが有馬氏を討つため島原半島に上陸した隆信は,島津・有馬連合軍との合戦で84年3月戦死した。…

【平戸藩】より

…肥前国(長崎県)北松浦郡平戸に藩庁を置いた外様中藩。藩主は松浦氏。6万1700石。…

※「松浦氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android