松浦佐用姫(読み)まつらさよひめ

精選版 日本国語大辞典 「松浦佐用姫」の意味・読み・例文・類語

まつら‐さよひめ【松浦佐用姫】

万葉集」「肥前風土記」などに見える伝説・説話中の女主人公。また、その伝説。朝鮮に出征する愛人大伴狭手彦(さでひこ)を送り、松浦山(まつらやま)から領巾(ひれ)を振ってそのまま望夫石になったとか、「肥前風土記」所収の話では三輪山型神婚説話になったりしている。松浦姫。

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デジタル大辞泉 「松浦佐用姫」の意味・読み・例文・類語

まつら‐さよひめ【松浦佐用姫】

伝説上の人物で、肥前の松浦に住んでいたという女性。任那みまな救援途中の大伴金村の子狭手比古さでひこと契り、離別のとき、領布振ひれふりの峰(鏡山)から領布を振って別れを惜しみ、そのまま石になったという。万葉集などにみえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松浦佐用姫」の意味・わかりやすい解説

松浦佐用姫
まつらさよひめ

伝説上の人物。古くは『万葉集』にみえる。大伴佐提比古(おおとものさてひこ/さでひこ)が異国へ使者として旅立つとき、妻の松浦佐用比売(さよひめ)が別れを悲しみ、高い山の上で領巾(ひれ)(首から肩に掛けて左右に垂らす白い布)を振って別れを惜しんだので、その山を「領巾麾(ひれふり)の嶺(みね)」とよぶと伝える。大伴狭手彦(さてひこ/さでひこ)が朝廷の命で任那(みまな)に派遣されたことは『日本書紀』の宣化(せんか)天皇2年(537)条にみえるが、佐用姫の伝えはない。肥前(ひぜん)地方で発達した伝説で、奈良時代の『肥前国風土記(ふどき)』にも、松浦(まつら)郡の「褶振(ひれふり)の峯(みね)」の伝えとしてみえるが、大伴狭手彦連(むらじ)と弟日姫子(おとひひめこ)の物語になっている。夫に別れたのち、弟日姫子のもとに、夫に似た男が通ってくる。男の着物の裾(すそ)に麻糸をつけておき、それをたどると、峯の頂の沼の蛇であった。弟日姫子は沼に入って死に、その墓がいまもある、とある。昔話の「蛇婿入り」のおだまき型の話になっている。

 松浦佐用姫は中世の文学でも人気のあった人物で、説経浄瑠璃(じょうるり)の「松浦長者」などの語物のなかでは、松浦長者の娘さよ姫は、大蛇の生贄(いけにえ)に捧(ささ)げられる女として登場する。『肥前国風土記』の伝説などからの転化であろう。東北地方の奥浄瑠璃では「竹生(ちくぶ)島の本地」となって語り広められ、岩手県などでは佐用姫を大蛇の人身御供(ひとみごくう)にする物語が伝説になっている。

 領巾振(ひれふり)山は佐賀県唐津(からつ)市の鏡山のこととされ、その周辺には佐用姫にちなむ伝説が残っている。別れのとき佐用姫が袖(そで)を掛けたという袖掛松(別名、佐用姫松)が山頂にあるほか、松浦川上流には佐用姫岩(別名、松浦岩)という大きな岩が川の中にあり、姫は領巾振山からここに飛び降りたといい、その岩には足跡というくぼみがある。唐津市呼子(よぶこ)町の呼子の浦の古名を呼名(よぶな)の浦というのは、姫がここで夫の名を呼んだのに由来すると伝える。同市加部(かべ)島にある田島神社の末社の佐与姫神社は姫を祭神とし、祠(ほこら)には姫が泣きあかしたという望夫(ぼうふ)石がある。また、伊万里市山代(やましろ)町立岩(たちいわ)は、姫の死骸(しがい)が丸木船に乗って漂着した所といい、姫を祀(まつ)る佐代姫神社がある。神社と浦ノ崎駅の中間の田の畦(あぜ)には、姫を葬ったという塚もあった。神社には、帰国した大伴狭手彦が神饌(しんせん)を盛って供えたという高麗(こうらい)焼の壺(つぼ)が、宝物として伝わっている。なお、肥前地方をはじめ、九州北部では道祖神(「塞神(さえのかみ)」)をサヨの神(かん)といい、松浦佐用姫を葬って祀った神であると伝える。

[小島瓔

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改訂新版 世界大百科事典 「松浦佐用姫」の意味・わかりやすい解説

松浦佐用姫 (まつらさよひめ)

男が異国に出征するのを悲しみ,山に登って男に向かい領巾(ひれ)を振った伝説上の女性。サヨヒメに関する伝説は各地に多く伝えられるが,本来は水神に仕え,その生贄(いけにえ)となる女性であったらしい。古くは《万葉集》巻五にみえ,大伴佐提比古(さでひこ)が異国に出征するとき,松浦佐用比売が別れを悲しんで山に登り領巾を振ったと伝える。この山は肥前国松浦郡の褶振(ひれふり)の峯と伝え,佐提比古は《日本書紀》宣化紀に登場する大伴狭手彦(さでひこ)と理解されている。

 佐用姫の褶振の伝説は《奥儀抄》,《平家物語》巻三,《古今著聞集》巻五など中世の書物に散見し,これを素材としたのが能の《松浦鏡》(別名《佐用姫》)である。《曾我物語》巻四などでは姫が悲しみのあまり石になったとする化石譚をともなっており,《峯相記(みねあいき)》では姫が悲しみから走り出て播磨国に行き,死んで佐与媛(さよひめ)明神となったので,その地を佐与郡と名づけたと伝える。《肥前国風土記》では褶振の話を弟日姫子(おとひひめこ)のこととして伝えるが,これはその歌謡の〈弟姫(おとひめ)〉に引かれたもので,本来はサヨヒメであったと考えられている。さらに後日譚が付せられ,サデヒコと別れた後,似た男が毎夜姫を訪ねるので怪しんで続麻(うみお)(麻糸)を男につけて後を追うと,それは山上の沼の蛇であった。人々が山に登ってみると姫の姿はなく,ただ沼の底に人の死骸だけがあったと,三輪山型の蛇聟入譚として伝える。能の《生贄》は,生贄になる女性を〈風情はさながら松浦佐用姫かくやらん〉と形容しており,《播磨国風土記》では,玉津日女(たまつひめ)命が鹿を生捕り腹を割き,その血に稲を蒔(ま)くと一夜に苗が生じ田に植えたと伝えて,この神を讃用都比売(さよつひめ),その地を五月夜(さよ)郡と名づけたという。これは先の《峯相記》の話とも連絡があるが,各地の早乙女石(塚,松)の伝説や蛇聟入譚などと考え合わせると,サヨヒメは田の水神の生贄となる女性で,サヨは道祖神(さえのかみ)のサエと同根(柳田国男説)とみられる。マツラも松王(まつおう),松童(まつわらわ)と同じくマツリ,マツラフなどと同根(同氏説)とみられ,姫は神に仕える巫女と考えられる。佐用姫伝説が肥前国松浦郡に関係して伝えられるのも,マツラの音の響きが両者を結びつけたもので,領巾は神の依代(よりしろ)ではないかと思われる。

 古い民間信仰の観念に関係するマツラサヨヒメが,特定の土地と結びつき,固有名詞となって各地の口碑伝説となり,他方で複雑な物語としても語られたが,そのなかに御伽草子《さよひめのさうし》がある。この物語は説経節《松浦長者》としても語られ,《竹生島の本地》《松浦物語》《壺坂物語》などの冊子となっていて,小異はあるが,サヨヒメが大蛇などの水神の生贄とされる点で共通している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松浦佐用姫」の意味・わかりやすい解説

松浦佐用姫
まつらさよひめ

肥前国松浦の東方に住んでいたという伝説上の美女。『万葉集』によるその伝説は朝廷の命により,任那救援におもむく途中の大伴狭手比古と契り,その離別に際し,山に登り領巾 (ひれ) を振って別れを惜しんだので,その山を領巾振山というようになったというもので,山上憶良の歌にみえる。さらに『肥前国風土記』には狭手比古と別れてのちも思い続けていると,夜ごと狭手比古に似た男が通うので,あとをつけるとそれは山の沼にすむ大蛇で,姫をさらって沼に入ったという三輪山型の物語となっている。また滝沢馬琴の『松浦佐用姫石魂録』では姫は領巾を振りつつ石に化したという。

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百科事典マイペディア 「松浦佐用姫」の意味・わかりやすい解説

松浦佐用姫【まつらさよひめ】

伝説上の女性。欽明天皇のとき,朝鮮に出征する大将軍大伴狭手彦(さでひこ)と契(ちぎり)を結び,松浦潟の山上(現佐賀県唐津市鏡山という)から領巾(ひれ)をふって別離を悲しんだという。山上憶良(やまのうえのおくら)の歌にも見え,《肥前国風土記》では大蛇にさらわれて沼に沈む。のちには領巾をふりつつ石に化したという話が流布。なお水神の人柱となった美女はしばしば〈さよひめ〉の名で呼ばれる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松浦佐用姫」の解説

松浦佐用姫 まつら-さよひめ

伝説上の女性。
「万葉集」には,峰にのぼり肩にかけた領巾(ひれ)をふって,朝鮮に遠征する大伴佐提比古(狭手彦)(おおともの-さてひこ)との別れをおしんだとある。「肥前国風土記」では弟日姫子(おとひひめこ)の名で,領巾振りの話につづいて,狭手彦の姿であらわれた蛇のあとをおい沼にはいって死んだとある。

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世界大百科事典(旧版)内の松浦佐用姫の言及

【鏡山】より

…山名は,神功皇后が朝鮮出兵の戦勝を祈念して鏡を山頂に埋めたことによると伝える。また任那に渡る大伴狭手彦(おおとものさでひこ)の軍船に向かって,土地の長者の娘松浦佐用姫(まつらさよひめ)がこの山から領巾(ひれ)を振って別離を悲しんだという伝説から,領巾振(ひれふり)山の別名があり,《万葉集》などに歌われている。花コウ岩の上に玄武岩をのせたテーブル状の山で,玄海国定公園の一中心をなす。…

【田島神社】より

…近世には唐津藩主の保護を受けた。末社佐用姫神社は,大伴狭手彦(おおとものさでひこ)との分離を悲しみこの地で石になったという松浦佐用姫をまつる社で,1593年(文禄2)名護屋滞在中の豊臣秀吉は100石を寄進した。旧国幣中社。…

※「松浦佐用姫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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