松本幸四郎(8世)(読み)まつもとこうしろう[はっせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松本幸四郎(8世)」の意味・わかりやすい解説

松本幸四郎(8世)
まつもとこうしろう[はっせい]

[生]1910.7.7.
[没]1982.1.11. 神奈川,鎌倉
歌舞伎俳優。屋号高麗屋。7世松本幸四郎の二男。本名藤間順次郎。 11世市川団十郎を兄,2世尾上松緑を弟とする。 1949年市川染五郎から襲名。1世中村吉右衛門女婿。吉右衛門の芸風を継ぎ,熊谷,光秀幡随院長兵衛,俊寛をよくする。 1975年重要無形文化財保持者に認定。 1981年9月1世松本白鸚を名のる。同 1981年文化勲章受章。

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世界大百科事典(旧版)内の松本幸四郎(8世)の言及

【蔦紅葉宇都谷峠】より

…早替りと殺し場が際立つため小芝居向きとして軽視されがちだったが,じつは義理と因果にあえぐ人物を活写した重厚な作。1969年当代最高とされた17世中村勘三郎の二役と8世松本幸四郎(のちの白鸚)の十兵衛による国立劇場の,初演以来の通し上演は,その点でも画期的であった。【河竹 登志夫】。…

【東宝[株]】より

…同年新たに重役に迎えた菊田一夫を中心に,57年芸術座を設け,65年帝国劇場を改築し再開場,東宝歌舞伎,東宝ミュージカル,東宝現代劇の三つの分野を柱に数々の話題作を上演,多数のスター・プレーヤーを生み出した。61年からは,8世松本幸四郎(のちの白鸚)ほかを専属に加え,第2次の東宝劇団を結成,新帝劇を根城に以後11年間に及ぶ演劇活動を行った。その間に,9世幸四郎,2世吉右衛門の看板役者を育て,とくに幸四郎は歌舞伎とは別に《ラ・マンチャの男》ほかのミュージカル・スターとしても脚光を浴びた。…

【嬢景清八島日記】より

…現在の人形浄瑠璃でも,この段の景清用として,真っ赤な眼をむく仕掛けの特殊な首(かしら)が残っている。近年では,1959年に8世松本幸四郎(白鸚)が,竹本綱大夫,竹沢弥七と共演したときの赤眼の工夫と迫真の演技が,とくに有名である。能《景清》とは異なる親子の情愛の吐露の場は,《平家女護島》の俊寛などと共通し,景清物の代表作となっている。…

※「松本幸四郎(8世)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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