精選版 日本国語大辞典 「松旭斎天勝」の意味・読み・例文・類語
しょうきょくさい‐てんかつ【松旭斎天勝】
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(丸川賀世子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
女性奇術師。本名中井かつ。東京・深川で生まれ、12歳で初代松旭斎天一(てんいち)(1853―1912)に弟子入りする。天一は福井県出身の明治を代表する奇術師で、日本での西洋風ステージ・マジックの興隆に大きく貢献した。天勝には舞台映えのする美貌(びぼう)と天性のスター性があり、たちまち天一一座のスーパースター的存在となる。一座は1901年(明治34)から3年間欧米を巡業し、帰国後の1905年東京・歌舞伎座(かぶきざ)に出演、当時流行の奇術を取り入れた華やかな演出で幅広い人気と名声を得た。一座の出し物では、天一のくふうした水芸がとくに有名。天一没後座長となった天勝は、大正末期から昭和初年にかけて「魔術の女王」とうたわれた。1938年(昭和13)に引退。天勝は姪(めい)が2年後に襲名した。
[松田道弘]
『石川雅章著『松旭斎天勝』(1968・桃源社)』
女流奇術師。本名野呂かつ子。東京に生まれた。11歳で松旭斎天一に入門し,師とともに欧米を巡業して各国の奇術,魔術を修得した。師の死後は一座を結成し,海外にも巡業して人気を集めた。大正中期から昭和初期が全盛期で,レビュー,寸劇,舞踊などを奇術に取り入れて豊富な演目を誇り,奇術界に君臨した。1935年に引退,38年,姪が2代目を襲名した。
執筆者:興津 要
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…とりわけ天一は,一座を率いて水芸を売物にして欧米を巡業,帰国後は歌舞伎座で旗揚げ興行をするなど,日本の舞台奇術興隆の礎をきずいた。天一の没後は女弟子の松旭斎天勝が,大正・昭和初期にかけて魔術の女王として奇術界に君臨した。第2次大戦後,優秀な奇術解説書が数多く出版されたこともあって,アマチュア奇術界が活気づき,海外の奇術家の来日や,テレビの普及もあって今日の隆盛を迎えている。…
…この手法は歌舞伎や人形芝居に採り入れられて数々の名場面を生み,また手品として行われるようにもなった。その仕掛けは,多くは細い管をどこかに配してあるといった単純なものであるが,その華麗な舞台面から,主として女芸人のものとなり,明治末から昭和にかけて奇術の女王と称された松旭斎天勝(しようきよくさいてんかつ)も得意とした。また,泉鏡花の《滝の白糸》(《義血俠血》)は,水芸の太夫白糸を主人公としている。…
※「松旭斎天勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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