松旭斎天勝(読み)しょうきょくさいてんかつ

精選版 日本国語大辞典 「松旭斎天勝」の意味・読み・例文・類語

しょうきょくさい‐てんかつ【松旭斎天勝】

奇術師初世本名野呂かつ(子)。東京生まれ。一一歳で初世松旭斎天一入門。天一の死後一座組織。千余種の新奇術を考案、華麗な演出で知られた。大正中期から昭和初期が全盛期。明治一九~昭和一九年(一八八六‐一九四四

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デジタル大辞泉 「松旭斎天勝」の意味・読み・例文・類語

しょうきょくさい‐てんかつ【松旭斎天勝】

[1886~1944]女性奇術師。東京生まれ。本名、中井かつ。初世松旭斎天一の弟子となり、欧米巡業。天一の死後、一座を結成し、近代奇術の代表者として活躍

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朝日日本歴史人物事典 「松旭斎天勝」の解説

松旭斎天勝

没年:昭和19.11.11(1944)
生年:明治19.5.21(1886)
明治から昭和にわたって活躍した奇術師。東京神田の質店の長女。本名中井(野呂,金沢)かつ。家が没落したため11歳のとき松旭斎天一の下に10年25円の約束で弟子入り。「泣かずのおかつ」と評された勝気さと美貌で一座の花形となる。天一の欧米巡業(1901~05)に同行,帰朝公演の電飾衣裳の「羽衣ダンス」で大評判となる。明治44(1911)年天一が引退すると天勝一座を結成。師の舞台奇術を華麗に発展させ,千数百種の奇術を演じた。26名の座員を率いての2度目のアメリカ巡業(1924~25)では,対日感情悪化のなかで在留邦人慰問,激励した。大正時代はオペラや新劇をとり入れ,昭和に入るとアメリカ仕込みのレビューやジャズのマジックショーで,最盛期には一座は100人を超し,観客動員数日本一の天勝黄金時代を築いた。10年引退。2代目を姪の中井絹子が継いだ。<著作>松旭斎天勝『天勝の半生

(丸川賀世子)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松旭斎天勝」の意味・わかりやすい解説

松旭斎天勝
しょうきょくさいてんかつ
(1886―1944)

女性奇術師。本名中井かつ。東京・深川で生まれ、12歳で初代松旭斎天一(てんいち)(1853―1912)に弟子入りする。天一は福井県出身の明治を代表する奇術師で、日本での西洋風ステージ・マジックの興隆に大きく貢献した。天勝には舞台映えのする美貌(びぼう)と天性のスター性があり、たちまち天一一座のスーパースター的存在となる。一座は1901年(明治34)から3年間欧米を巡業し、帰国後の1905年東京・歌舞伎座(かぶきざ)に出演、当時流行の奇術を取り入れた華やかな演出で幅広い人気と名声を得た。一座の出し物では、天一のくふうした水芸がとくに有名。天一没後座長となった天勝は、大正末期から昭和初年にかけて「魔術の女王」とうたわれた。1938年(昭和13)に引退。天勝は姪(めい)が2年後に襲名した。

[松田道弘]

『石川雅章著『松旭斎天勝』(1968・桃源社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「松旭斎天勝」の意味・わかりやすい解説

松旭斎天勝 (しょうきょくさいてんかつ)
生没年:1886-1944(明治19-昭和19)

女流奇術師。本名野呂かつ子。東京に生まれた。11歳で松旭斎天一に入門し,師とともに欧米を巡業して各国の奇術,魔術を修得した。師の死後は一座を結成し,海外にも巡業して人気を集めた。大正中期から昭和初期が全盛期で,レビュー,寸劇,舞踊などを奇術に取り入れて豊富な演目を誇り,奇術界に君臨した。1935年に引退,38年,姪が2代目を襲名した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松旭斎天勝」の意味・わかりやすい解説

松旭斎天勝
しょうきょくさいてんかつ

[生]1886.5.21. 東京
[没]1944.11.11. 東京
奇術師。本名中井かつ。 11歳のとき天一の弟子となり,天性の魅力で一座の花形になった。 1901年から5年間,師とともに欧米を巡業。世界的な人気を得て帰国後,歌舞伎座にも進出。 12年師の没後,一座を組織して日本全国,満州,朝鮮,台湾を巡演。考案した奇術は千余を数え,水芸など日本手品に西洋奇術,舞踊などを加えてスピーディーなショーとした。女優としても活躍,師とともに日本で最初にアメリカ流のバラエティー・ショーを上演した。 34年引退。2世は 37年姪の中川絹子が襲名。

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百科事典マイペディア 「松旭斎天勝」の意味・わかりやすい解説

松旭斎天勝【しょうきょくさいてんかつ】

女性奇術師。東京生れ。本名野呂かつ子。12歳のとき明治随一の奇術師松旭斎天一に入門,天性の美貌(びぼう)によりたちまち花形となる。1912年師の没後一座を率いて海外にも巡演,名声を博した。千数十種の新奇術を考案,奇術の近代化に貢献。1937年姪(めい)が2代目天勝を襲名。
→関連項目水芸

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松旭斎天勝」の解説

松旭斎天勝 しょうきょくさい-てんかつ

1886-1944 明治-昭和時代前期の奇術師。
明治19年5月21日生まれ。松旭斎天一に入門,美貌と才気で一座の花形となる。明治45年天一の死後,天勝一座を結成,レビュー,寸劇などをとりいれて国内外の巡業で好評をえた。昭和10年引退,姪(めい)が2代を襲名。昭和19年11月11日死去。59歳。東京出身。本名は金沢かつ。

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世界大百科事典(旧版)内の松旭斎天勝の言及

【奇術】より

…とりわけ天一は,一座を率いて水芸を売物にして欧米を巡業,帰国後は歌舞伎座で旗揚げ興行をするなど,日本の舞台奇術興隆の礎をきずいた。天一の没後は女弟子の松旭斎天勝が,大正・昭和初期にかけて魔術の女王として奇術界に君臨した。第2次大戦後,優秀な奇術解説書が数多く出版されたこともあって,アマチュア奇術界が活気づき,海外の奇術家の来日や,テレビの普及もあって今日の隆盛を迎えている。…

【水芸】より

…この手法は歌舞伎や人形芝居に採り入れられて数々の名場面を生み,また手品として行われるようにもなった。その仕掛けは,多くは細い管をどこかに配してあるといった単純なものであるが,その華麗な舞台面から,主として女芸人のものとなり,明治末から昭和にかけて奇術の女王と称された松旭斎天勝(しようきよくさいてんかつ)も得意とした。また,泉鏡花の《滝の白糸》(《義血俠血》)は,水芸の太夫白糸を主人公としている。…

※「松旭斎天勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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