松戸(市)(読み)まつど

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松戸(市)」の意味・わかりやすい解説

松戸(市)
まつど

千葉県北西部にある市。下総(しもうさ)台地上に位置し江戸川低地に接する。1943年(昭和18)松戸町と馬橋(まばし)、高木の2村が合併して市制施行。JR常磐(じょうばん)線と武蔵野(むさしの)線が交差し、常磐線には東京地下鉄千代田線が乗り入れている。ほかに新京成電鉄新京成線、流鉄(りゅうてつ)流山(ながれやま)線(旧、総武流山電鉄)、北総鉄道北総線が通じ、東端に東武鉄道野田線の六実(むつみ)駅がある。国道6号、298号、464号が通じる。中世、千葉氏は馬橋に、新田(にった)氏は根本に城を築き、高城(たかぎ)氏が小金城(こがねじょう)を本拠に勢力を伸ばした。江戸時代、武田信吉(のぶよし)(1583―1603。徳川家康の五男)が3万石で入封したが、佐倉へ移ったのちは幕府直轄地、旗本領となった。松戸と小金は水戸街道の宿場として栄え、江戸川が利根(とね)川の分流となり、水運が盛んとなった江戸中期以後は河港町としても著しい発展を遂げた。台地上には小金五牧(ごまき)の一つ中野牧が置かれ、明治初期に東京方面からの入植者に開放されて五香(ごこう)・六実の開拓期の地名をいまに残している。明治から第二次世界大戦前まで矢切(やぎり)のネギをはじめ多種類の野菜や米が生産され、現在もネギなどの野菜やナシ栽培が行われている。戦後の1955年以降は新京成電鉄沿線に大規模な常盤平(ときわだいら)団地や住宅地開発が進展し、都市化が進んだ。また、稔台(みのりだい)・北松戸・松飛台(まつひだい)工業団地が形成され、金属・機械工業が盛んである。伊藤左千夫(さちお)の小説『野菊の墓』の舞台となった矢切には、対岸の東京都葛飾(かつしか)区柴又(しばまた)と結ぶ江戸川の渡し場矢切の渡しがあり、休日には行楽に利用されている。東京都営の公園墓地八柱(やはしら)霊園には嘉納治五郎(かのうじごろう)や西条八十(さいじょうやそ)などの墓がある。万満寺(まんまんじ)の木造金剛力士立像2体は国の重要文化財。数万本のアジサイが咲く本土寺(ほんどじ)はあじさい寺として有名で、日蓮筆諸人御返事(しょにんごへんじ)、大学三郎御書(だいがくさぶろうごしょ)と梵鐘(ぼんしょう)は国の重要文化財。徳川昭武(あきたけ)(1853―1910)別邸(旧徳川家松戸戸定(とじょう)邸の名称で国指定重要文化財)を含む敷地は戸定が丘歴史公園として整備され、庭園は国指定名勝となっている。面積61.38平方キロメートル、人口49万8232(2020)。

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『『松戸市史』全4巻(1961~1978・松戸市)』


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