松屋村(読み)まつやむら

日本歴史地名大系 「松屋村」の解説

松屋村
まつやむら

[現在地名]下関市大字松屋・大字工領開作くりようかいさく

周防灘に注ぐ木屋こや川の東に位置する。西は宇津井うづい、北は吉田よしだ、東は大持おおもつ小埴生おばぶ(現厚狭郡山陽町)の各村と接し、南は周防灘に面する。村域のほとんどは低い山地帯で占められる。厚狭あさ郡の萩藩領で吉田宰判に属する。

和名抄」に「松室郷」とある地が訓を「万都也」とするから、松屋村の名はその遺名とされる。

正慶元―二年(一三三二―三三)の合戦記録である「正慶乱離志」に「正慶二年四月四日如風聞者長門国厚東、秋吉、岩永、由利伊佐、アツ、マツヤ、河越アサ皆参先帝御方」とあり、文安四年(一四四七)の譲状案文(「注進案」所収厳島大明神社文書)に「長門国吉田郡松屋別府」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報