松原用水(読み)まつばらようすい

日本歴史地名大系 「松原用水」の解説

松原用水
まつばらようすい

一宮いちのみや町松原から豊川を分水し、豊川右岸の水田を潤して豊橋市大村おおむら町で再び豊川に合流する用水路。長さ約一二キロ、受益面積八〇〇ヘクタール。藩政期における利用村数二三ヵ村。近年豊川用水路の開削によって、主力はその西部幹線に譲った。近世くさ部井堰べいぜきと称していた。松原用水記念碑に、

<資料は省略されています>

とあり、永禄一〇年(一五六七)酒井忠次が着工し、天正年間(一五七三―九二)に完成したことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松原用水の言及

【豊川用水】より

…鳳来町大野頭首工で取水して新城市日吉に至り,そこで渥美半島にのびる東幹線水路76.2kmと蒲郡市にのびる西幹線水路37.2kmに分水される。東三河地域には灌漑用水路として近世初期に着工された松原用水,1888年に完成した牟呂用水などがあったが,灌漑面積は豊橋平野の一部を占めるにすぎなかった。そのため水不足に悩む豊川下流の丘陵台地と渥美半島では豊川用水建設の願望が強く,1921年渥美郡赤羽根町の内藤寿市郎の提唱が契機となり,その第一歩が踏み出された。…

※「松原用水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」