松井簡治(読み)マツイカンジ

デジタル大辞泉 「松井簡治」の意味・読み・例文・類語

まつい‐かんじ〔まつゐカンヂ〕【松井簡治】

[1863~1945]国語・国文学者。千葉の生まれ。本姓宮内。東京文理大教授。上田万年と「大日本国語辞典」を編纂へんさん

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精選版 日本国語大辞典 「松井簡治」の意味・読み・例文・類語

まつい‐かんじ【松井簡治】

国文学者。文学博士下総国千葉県銚子出身。宮内君浦の二男。のち松井清の養子となる。帝国大学文科大学教育学科卒。同大学国文学科選科に学ぶ。学習院教授、東京高等師範学校教授を経て東京文理大学教授。その間、上田万年とはかり「大日本国語辞典」を編纂。国文学界の重鎮として辞典編纂などに業績を残す。文久三~昭和二〇年(一八六三‐一九四五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松井簡治」の意味・わかりやすい解説

松井簡治
まついかんじ
(1863―1945)

国語・国文学者。千葉県銚子(ちょうし)市生まれ。宮内君浦(みやうちくんぽ)(1826―1900)の次男、1882年(明治15)に松井家の養子となる。1890年帝国大学文科大学教育学科卒業。1892年学習院教授、1901年(明治34)東京高等師範学校(後の東京文理科大学)教授、1929年(昭和4)東京文理科大学(現、筑波(つくば)大学)教授。同大学附属図書館長、学長事務取扱をも務める。1897年ごろより国語辞典の編纂(へんさん)に着手、20余万語を収録した『大日本国語辞典』(1915~1919刊)を完成。爾後(じご)、屈指の国語辞典として後出の辞典に与えた影響はきわめて大きい。その編纂のために収集した蔵書は、静嘉堂(せいかどう)文庫に一括収蔵されている。『庭訓往来(ていきんおうらい)諸抄大成』(1903刊)などの著書がある。

[峰岸 明 2018年10月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松井簡治」の解説

松井簡治 まつい-かんじ

1863-1945 明治-昭和時代の国文学者,教育者
文久3年5月18日生まれ。学習院教授をへて,明治34年高等師範教授,昭和4年東京文理大教授となる。上田万年(かずとし)と「大日本国語辞典」全5巻を編集。昭和20年9月26日死去。83歳。下総(しもうさ)銚子(千葉県)出身。帝国大学卒。旧姓は宮内。号は碧湾,刀水。

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世界大百科事典(旧版)内の松井簡治の言及

【大日本国語辞典】より

…上田万年・松井簡治共著(実際は松井著)の国語辞書。初版は本文4冊(1915‐19),著索引1冊(1928)。…

※「松井簡治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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