杵屋 栄左衛門(読み)キネヤ エイザエモン

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「杵屋 栄左衛門」の解説

杵屋 栄左衛門
キネヤ エイザエモン


職業
長唄三味線

専門
歌舞伎長唄

肩書
重要無形文化財保持者(歌舞伎音楽・長唄)〔昭和53年〕

本名
原 省三(ハラ セイゾウ)

別名
別名=原 摂郎(ハラ セツロウ),前名=鳥羽屋 三四郎,杵屋 源次郎

生年月日
明治27年 2月22日

出生地
東京市 本郷区(東京都 文京区)

経歴
明治43年杵屋正彦に入門。45年5代目鳥羽屋里長の門下に入り、鳥羽屋三四郎を名乗る。大正3年7代目芳村伊三郎に師事し、杵屋源次郎を名乗る。大正7年歌舞伎座ほか各劇場に出演。9年伊三郎没後、杵栄派に編入される。山田耕筰にも師事して和声学・作曲法も学び、14年栄左衛門に改名。昭和3年タテ三味線を務める。7年日本邦楽学校を開校し、長唄および音楽理論を教える。9年日本初の五線式楽譜による正式教則本「五線譜による・三味線のひき方」を刊行。26年より附師となり、独吟、合方を数多く作曲、歌舞伎長唄の第一人者となった。黒御簾音楽(下座音楽)を五線譜に整理した「歌舞伎音楽集成」(江戸編・上方編 昭和51年・55年)は高く評価されている。53年人間国宝に認定。長唄協会理事、相談役を務めた。幅広い趣味と旺盛な研究意欲の持ち主で、シャネルの5番を愛用する洒落者としても知られた。

受賞
勲四等旭日双光章〔昭和55年〕 松尾芸能賞〔昭和56年〕

没年月日
昭和57年 1月12日 (1982年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「杵屋 栄左衛門」の解説

杵屋 栄左衛門
キネヤ エイザエモン

大正・昭和期の長唄三味線方



生年
明治27(1894)年2月22日

没年
昭和57(1982)年1月12日

本名
原 省三(ハラ セイゾウ)

別名
別名=原 摂郎(ハラ セツロウ),前名=杵屋 源次郎

経歴
明治43年杵屋正彦の門に入り、大正3年杵屋源次郎を名乗る。山田耕筰にも師事して和声学・作曲法も学び、14年栄左衛門に改名。昭和26年より附師となり、独吟、合方を数多く作曲、歌舞伎長唄の第一人者となった。黒御簾音楽(下座音楽)を五線譜に整理した「歌舞伎音楽集成」(江戸編・上方編)は高く評価されている。53年に人間国宝に指定された。長唄協会理事、相談役を務めた。幅広い趣味と旺盛な研究意欲の持ち主で、シャネルの5番を愛用する洒落者としても知られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「杵屋 栄左衛門」の解説

杵屋 栄左衛門 (きねや えいざえもん)

生年月日:1894年2月22日
大正時代;昭和時代の長唄三味線方。長唄協会理事
1982年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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