東郷青児(読み)とうごうせいじ

精選版 日本国語大辞典 「東郷青児」の意味・読み・例文・類語

とうごう‐せいじ【東郷青児】

洋画家本名鉄春。鹿児島市出身。立体派未来派影響を受け、フランスから帰国後感傷的な装飾的画風を築く。第二次世界大戦後二科会の指導的存在として活躍。明治三〇~昭和五三年(一八九七‐一九七八

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デジタル大辞泉 「東郷青児」の意味・読み・例文・類語

とうごう‐せいじ〔トウガウ‐〕【東郷青児】

[1897~1978]洋画家。鹿児島の生まれ。本名、鉄春。未来派風の「パラソルさせる女」を第3回二科展に初出品し、二科賞を受賞。のち、二科会の中心的存在となり、会長を務める。甘美な色調と装飾性をもつ女性像を多く描いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東郷青児」の意味・わかりやすい解説

東郷青児
とうごうせいじ
(1897―1978)

洋画家。明治30年4月28日鹿児島市に生まれる。本名鉄春。青山学院中学部を卒業。有島生馬(ありしまいくま)に師事し、また作曲家の山田耕筰(こうさく)からヨーロッパの新芸術思想を啓示され、1916年(大正5)二科展に未来派風の『パラソルさせる女』を初出品、二科賞を受ける。1921~1928年(昭和3)フランスに留学。帰国した1928年の二科展に『サルタンバンク』ほかの滞欧作を特陳して昭和洋画奨励賞を受け、1931年に二科会会員となる。1957年(昭和32)日本芸術院賞を受け、同年と1959年の日本国際美術展で大衆賞を受賞。1960年日本芸術院会員となり、翌1961年二科会の会長に就任した。1976年には東京新宿に東郷青児美術館(現、東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館)が開館。未来派ないしキュビスムを叙情化した甘美な装飾的作風の女性像で知られる。昭和53年4月25日旅行先の熊本市で没。

[小倉忠夫 2017年1月19日]

『植村鷹千代他解説『東郷青児画集』(1981・講談社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東郷青児」の意味・わかりやすい解説

東郷青児
とうごうせいじ

[生]1897.4.28. 鹿児島,鹿児島
[没]1978.4.25. 熊本,熊本
洋画家。本名は鉄春。1914年青山学院中学部卒業後,有島生馬に師事。1916年第3回二科展に初出品して二科賞を受賞した『パラソルさせる女』(清力美術館)は幻想的な作品で,以後の作風を決定づけた。1919~28年フランスに留学,第15回二科展に滞欧作を発表し昭和洋画奨励賞を受ける。1930年二科会会員に推され,第2次世界大戦後は同会の再建尽力,1961~78年会長を務めた。繊細な技巧による装飾性と清潔な色彩による抒情味あふれる簡潔な人物画を得意とし,1956年日本芸術院賞受賞,1960年日本芸術院会員,1976年フランス政府から芸術文化勲章を贈られ,1978年文化功労者に推された。1976年,東京都新宿区に安田火災東郷青児美術館(→SOMPO美術館)が開館した。主要作品『サルタンバンク』(1926,東京国立近代美術館),『創生の歌』(1956,旧大洋デパート壁画)。

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百科事典マイペディア 「東郷青児」の意味・わかりやすい解説

東郷青児【とうごうせいじ】

洋画家,鹿児島市生れ。本名鉄春。有島生馬に師事し,二科展に出品,1916年二科賞を受賞。1919年―1928年渡仏。帰国後二科展に《サルタンバンク》《ノスタルジ》など滞欧作23点を特別陳列し,昭和洋画奨励賞を受賞。1931年二科会員。キュビスムを経た形態感に盛られた都会的な憂愁感は画壇で注目されたが,のち形態と色彩の単純化,明快さを推しすすめながら,独自の装飾的な女性像をつくりあげた。1945年,戦時中解散した二科会を再建。1961年二科会長。1976年東京新宿に東郷青児美術館開館。
→関連項目宇野千代

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東郷青児」の解説

東郷青児 とうごう-せいじ

1897-1978 大正-昭和時代の洋画家。
明治30年4月28日生まれ。有島生馬(いくま)にまなぶ。フランスに留学し,昭和6年二科会会員。戦後は二科会再建の中心となり,36-53年会長。32年壁画「創生の歌」で芸術院賞。幻想的で詩情ゆたかな女性像をえがいた。芸術院会員。昭和53年4月25日死去。80歳。文化功労者を追贈された。鹿児島県出身。青山学院中学部卒。本名は鉄春。

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世界大百科事典(旧版)内の東郷青児の言及

【キュビスム】より

…キュビスムはイタリアの未来派,イギリスのボーティシズムに造形的影響を及ぼし,またここからR.ドローネーのオルフィスム,オザンファンらのピュリスムが派生した。抽象芸術 日本におけるキュビスムの受容は1915年ごろに始まり,東郷青児,万鉄五郎らの作品にまずその反映がうかがえる。20年代に入ると,矢部友衛,古賀春江,黒田重太郎,川口軌外,坂田一男と,なんらかの形でキュビスムあるいはそれに類する様式を取り入れる画家はその数を増し,ひとつの流行の観を呈した。…

【明治・大正時代美術】より

…また坂本繁二郎は,東洋的な,浪漫的な心情を,光と影の色面に表現する独自の絵画世界をつくりだした。このほか二科会は,熊谷守一(もりかず)(1880‐1977),正宗得三郎(1883‐1962),中川紀元(きげん)(1892‐1972),鍋井克之(1888‐1969),小出楢重,国枝金三(1886‐1943),黒田重太郎(1887‐1970),林倭衛(しずえ)(1895‐1945),硲(はざま)伊之助(1895‐1977),関根正二,古賀春江,東郷青児(1897‐1978)ら,大正・昭和期の洋画界をリードする数多くの新人を世に出している。 二科会結成と同じ年,前年世を去った岡倉天心の一周忌を期して,日本画の横山大観,下村観山,木村武山(1876‐1942),安田靫彦,今村紫紅に洋画の小杉放庵を加えて,開店休業状態になっていた日本美術院が,洋画部も新たに設けて再興されている。…

※「東郷青児」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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