東禅寺跡(読み)とうぜんじあと

日本歴史地名大系 「東禅寺跡」の解説

東禅寺跡
とうぜんじあと

[現在地名]那覇市久米二丁目

近世の久米村にあった臨済宗寺院。山号は永明山、長門ながじようの寺ともいう。跡地は住宅地で、近隣に県青年会館などがある。建立年代は不明だが、「琉球神道記」に観音菩薩道場として「東善寺」がみえており、当寺のことであろう。「琉球国由来記」によれば円覚えんかく寺末。那覇及久米村図(沖縄志)には松尾まつお山の南西内兼久うちがにく山の北側に東禅寺と思われる敷地がみえ、三つの建物が描かれている。建物はいずれも西側を向き、中央の建物の手前に小さな建物があり、そこまで通路が延びている。新納氏家譜(南島風土記)によると、貞享三年(一六八六)琉球で客死した在番奉行新納忠興(武右衛門)の墓所は東禅寺であった。

東禅寺跡
とうぜんじあと

[現在地名]福知山市字川北

川北かわぎたの西部台地上にある。

創建年代そのほか詳細は不明だが、永正七年(一五一〇)の室町幕府奉行人連署奉書(松尾大社東家文書)

<資料は省略されています>

とあって、松尾まつお(現京都市西京区)と関係をもった寺院であったことがうかがわれる。「丹波志」にはすでに廃寺として扱われており「東禅寺古跡 川北村 薬師堂有」とみえる。この薬師堂は現在寺跡近くの字多光たこにあり、堂内には「貞治四年 大工彦四郎」と銘のある大日如来坐像(市指定文化財)と、薬師如来日光菩薩月光菩薩の三尊がある。

東禅寺跡
とうぜんじあと

[現在地名]八戸市根城 東構

城東善寺館跡内に位置する。真言宗。根城南部氏の祈願寺で、自在山と号する。東善寺とも記す。

元和四年(一六一八)知行目録に「九拾八石九斗六升三合 東禅寺」とある。建武元年(一三三四)南部師行が弟の尭養を開山とし、甲州波木井はきい郷に建立したもので、師建山と号したという(「八戸家伝記」南部家文書)。曾我勢により根城が包囲された興国二年(一三四一)の正月政長の素袍袴を加持祈祷し、秋田の陣・蠣崎の乱・小田原の陣などの際にも住僧が祈祷のために参陣したという(三翁昔語)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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