東知安村
ひがしくつちやんむら
[現在地名]虻田郡京極町字京極・字三崎・字脇方・字松川・字中岳・字春日・字北岡・字川西・字更進・字大富・字錦・字東花・字甲斐
明治四三年(一九一〇)から昭和一五年(一九四〇)まで存続した村。明治二年八月の国郡画定に伴い、当地一帯は胆振国虻田郡に所属。同郡虻田村のうちであったが、同二六年一二月に倶知安村が分立、さらに同四三年四月倶知安村より東倶知安村が分立、二級町村制を施行した(「市町村沿革台帳」など)。同四三年四月虻田郡倶知安村よりワッカタサップ、ペーペナイ、カシプニ、下目名の四地区が割かれて東倶知安村が成立、二級町村制を施行した(「市町村沿革台帳」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報