東清鉄道(読み)トウシンテツドウ

デジタル大辞泉 「東清鉄道」の意味・読み・例文・類語

とうしん‐てつどう〔‐テツダウ〕【東清鉄道】

日清戦争後、ロシア中国東北地方に建設した鉄道。シベリア鉄道に接続する満州里綏芬河すいふんが間の本線と、ハルビン・大連間の支線からなる。満州事変後、日本に移譲、のちソ連移管。1952年ソ連から中国に返還され、現在は長春鉄路という。東支鉄道

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精選版 日本国語大辞典 「東清鉄道」の意味・読み・例文・類語

とうしん‐てつどう ‥テツダウ【東清鉄道】

中国東北地区を縦貫する鉄道。現在は中国長春鉄路と呼ばれる。日本では東支鉄道、北満州鉄道と呼んだ。一八九六年帝政ロシアが清国より敷設権を得て一九〇一年に完成。満州里から綏芬河までの本線と、ハルビン・旅順間の南部支線からなる。日露戦争後、日本は南部支線の長春以南を譲渡され、南満州鉄道株式会社満鉄)を経営。一九五二年、ソ連から中国に譲渡された。〔東京朝日新聞‐明治三七年(1904)三月二四日〕

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改訂新版 世界大百科事典 「東清鉄道」の意味・わかりやすい解説

東清鉄道 (とうしんてつどう)

ロシアが中国東北部に建設した鉄道。現在の中国長春鉄路。もと中東(中国東北)鉄道と称し,日本では東支鉄道,北満州鉄道と呼んだ。1896年の露清同盟密約により,ロシアは北満州を横断してシベリア鉄道とウラジオストクを結ぶ敷設権を獲得した。96年露清銀行・清国間の契約に基づき,97年ロシア政府の全額出資による中東鉄道会社が創立され,98年から着工した。98年にはハルビン~旅順間の南部線敷設権も獲得し,1901年全線開通,03年営業を開始した。05年ポーツマス条約により長春~旅順間とこれに付属する権益を日本に譲渡,06年日本は南満州鉄道株式会社を設立し,これを経営した。24年東清鉄道は中ソ共同経営となるが,満州事変後,日ソ交渉の末に35年全鉄道が〈満州国〉へ譲渡・売却された。ヤルタ協定によりソ連は全線の優先的利益を容認され,45年8月の中ソ友好同盟条約はこれを確認し,日本敗戦時に移管した。50年2月の中ソ友好同盟相互援助条約に基づき,中国長春鉄路は52年12月中国に無償返還された。
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百科事典マイペディア 「東清鉄道」の意味・わかりやすい解説

東清鉄道【とうしんてつどう】

ロシアが建設した中国,東北地区の東西・南北を結ぶ主要幹線。現在の中国長春鉄路。満洲里・ハルビン・綏芬河(ソイフェンホー)を結びシベリア鉄道に東西で連絡する本線と,ハルビン・長春・奉天・大連を結ぶ南北の支線からなる。19世紀末ロシアが敷設権を獲得して経営したが,日露戦争後長春以南を日本は満鉄により経営。1935年満州国が買収。第2次大戦後中ソ共同で経営し,1952年中国に返還された。
→関連項目ポーツマス条約

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「東清鉄道」の解説

東清鉄道(とうしんてつどう)

満洲の幹線,ロシアのシベリア鉄道に接続する満洲里(マンチュリ)‐綏芬河(すいふんが)間の本線とハルビン大連間の南満洲支線からなる。本線は1896年の李鴻章(りこうしょう)‐ロバノフ密約により,南満洲支線は98年の遼東半島租借条約によりロシアがその敷設権を取得して建設,経営にあたった。日露戦争後,南満洲支線の長春‐大連間は日本に譲渡され,さらに満洲国成立後,1935年本線,支線ともに満洲国がロシアから買収して南満洲鉄道株式会社が経営にあたった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東清鉄道」の解説

東清鉄道
とうしんてつどう

1898~1903年にロシアが満州に敷設した全長約2500kmの鉄道。極東進出をねらったロシアは,シベリア鉄道をウラジオストクに最短距離で結ぶため,清国から満州における鉄道敷設利権を獲得し,満州里―綏芬河(すいふんが)間を東西に結ぶ本線,ハルビン―旅順間の南満州支線を完成。日露戦争後,南満州支線の長春以南は日本に譲渡され,新設の南満州鉄道会社の経営となった。残った本線などは東支鉄道・中東鉄道・北満鉄道などとよばれ,ロシア(のちソ連)が管理したが,ロシア革命,列強のシベリア出兵,中国民族主義の台頭,満州事変などで経営がしばしば不安定となり,中ソ共同経営をへて,1935年(昭和10)に満州国に譲渡された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「東清鉄道」の解説

東清鉄道
とうしんてつどう

1896年李鴻章−ロバノフ密約によってロシアが敷設権を得,1901年に完成した鉄道
ハルビン〜満州里 (マンチユリ) ,ハルビン〜ポグラニチナヤ,ハルビン〜長春,長春〜大連などの諸線を含む。ロシアはこの鉄道により満州に進出したが,日露戦争の結果,長春以南の南部支線は南満州鉄道として日本の大陸進出の足場となった。満州事変後は日ソ交渉により全鉄道が満州国に売却された。第二次世界大戦後は中国長春鉄路と呼ばれる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「東清鉄道」の解説

東清鉄道
とうしんてつどう

三国干渉後の1901年,ロシアが満州に建設した鉄道
1903年営業開始。シベリア鉄道に結び,ロシアの南下政策の根幹となった。日露戦争(1904〜05)後,ポーツマス条約により長春以南を日本が取得して,南満州鉄道株式会社(満鉄)となった。満州事変後,日ソ間の交渉の末,'35年全鉄道が満州国に売却されたが,'45年日本の敗戦でソ連が占領,'52年中国に返還された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東清鉄道」の意味・わかりやすい解説

東清鉄道
とうしんてつどう

東支鉄道」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の東清鉄道の言及

【シベリア鉄道】より

…工事はウラジオストクとウラル山脈の東側チェリャビンスクの両方からすすめられたが,経費は乏しく,冬季は酷寒であり,人跡未踏の地域も多く,工事は困難をきわめた。路線短縮,満州(中国東北)への進出企図などから,チタからまっすぐにウラジオストクまで満州を横断する,ロシア鉄道と同一軌幅(1.524m)の東清鉄道線を建設することを清国政府に承認させ,1903年これを完成した。04年に始まった日露戦争では大量の兵員,武器をヨーロッパ・ロシアから極東へ輸送する必要からシベリア鉄道の輸送力は増強され,未完成だったバイカル湖迂回線部分もこのとき開通し,ヨーロッパとアジアがはじめて連続した線路でつながれた。…

【満鉄】より

…日本の〈満州〉経略上のかなめとなった半官半民の国策会社。1905年のポーツマス条約により日本政府は長春~旅順間の東清鉄道およびその支線とそれに付属する権益,特権,財産ならびに撫順などの重要炭鉱の経営権を清国の承認を経てロシアから獲得した。この権利を運用するため06年勅令第142号〈南満州鉄道株式会社設立の件〉により児玉源太郎を委員長とする南満州鉄道株式会社設立委員会が設置され,このもとで06年11月に設立された。…

※「東清鉄道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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