東根市(読み)ヒガシネシ

デジタル大辞泉 「東根市」の意味・読み・例文・類語

ひがしね‐し【東根市】

東根

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日本歴史地名大系 「東根市」の解説

東根市
ひがしねし

面積:二〇五・八四平方キロ

山形盆地北東部に位置し、北は村山市・尾花沢おばなざわ市、西は西村山郡河北かほく町、南は天童市、南東端で一部山形市、東は宮城県仙台市に接する。奥羽脊稜山脈の西斜面の山林部と、その山脈を水源として西流する北から白水しろみず川・村山野むらやまの川・みだれ川の複合扇状地である乱川扇状地の北側扇側部、さらに扇状地の扇端部西側に北流する最上川の氾濫原が広がる。市域は東西に長く、乱川扇状地の乱川以南を除いた地域が市域になる。地形の制約で居住地の高低差が大きい。西部の扇端部に近く国道一三号と旧国道(羽州街道)が並行して南北に走り、その間をJR奥羽本線が通る。東に向かっては神町じんまちから県道新田―神町停車場線が、天童市から関山せきやま峠を越えて仙台市へ通ずる国道四八号(関山街道)大江おおえ新田で交わり、国道二八七号が山形空港から河北町へ向かって西へ延びる。

〔原始・古代〕

日塔につとう川の河岸段丘上から後期旧石器時代の石刃が発見されたが、詳細は不明。縄文時代前期には乱川扇状地面が安定した生活の場になっていたことが東根の小林こばやしA遺跡などで知られ、中期に入ると遺跡数が増え、乱川・村山野川・白水川・最上川の現河床から一〇―二〇メートルの段丘上に、現在市内域に十指を数える。後期晩期の遺跡は、中期の遺跡を引継ぐものがある一方で、とくに後期後半以降、乱川扇状地の扇端部にあたる湧水地点に集中する傾向があり、その例が六田東裏ろくたひがしうら蟹沢かにさわ郡山こおりやま三ッ屋東みっやひがしなどの遺跡である。弥生時代の遺跡は数少ないが、蟹沢遺跡が縄文から弥生時代への移行期を物語る。弥生時代後期の長瀞ながとろ扇田おうぎた遺跡は五世紀から六世紀初頭にかけての古墳時代前期の集落遺跡で、五世紀の造営と推定される前方後方墳大塚おおつか古墳も近い。奈良時代のものとして、野田のだからは蕨手刀が二刀、羽入はにゆうからは鉄製壺鐙が出土している。古墳・奈良時代に扇状地扇端部を中心に開拓が進んだ。

村山郡は仁和二年(八八六)最上郡から分離新設された。その郡衙が当市郡山付近と推定される。「延喜式」の駅路でも最上駅を山形市付近とすれば、次の村山駅はこの地域が妥当である。「和名抄」は村山郡に六郷を記すが、当市域は北隣の村山市とともに村山郷に入ると思われる。昭和五六年(一九八一)と同五八年の二次にわたる調査の結果、郡山遺跡で礎石根石や多量の炭化米・土師器・赤焼土器などが発見され、遺跡年代は一一世紀を下らないこと、古代出羽国村山郡衙の倉庫部分であることが確認された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東根市」の意味・わかりやすい解説

東根〔市〕
ひがしね

山形県中東部,山形盆地の北東部にある市。尾花沢・村山両市と天童市の間に位置し,東は奥羽山脈で宮城県に接する。 1954年東根町と東郷村,高崎村,大富村小田島村,長瀞 (ながとろ) 村が合体し,58年市制施行。地名は,山形盆地の東に連なる山々の麓に開けたことに由来するという。西部は山形盆地に含まれる平坦地,東部は奥羽山脈西麓に発達する乱 (みだれ) 川の扇状地にあり,扇端部には古くから荘園が開かれ,長瀞付近には条里制の遺構も残存。中世以降,東根,長瀞,蟹沢には小城下町が発達。扇状地の大部分は明治以後の開拓で,第2次世界大戦前,中央部の若木原 (おさなぎはら) には海軍の飛行場があった。現在この飛行場は山形空港となっている。西部の平地では米作やサクランボ,リンゴ,モモ,セイヨウナシなどの果樹栽培,山間部では畜産などが行われている。東根駅近くの大ケヤキは特別天然記念物。東部の白髪山 (しらひげやま) 西麓一帯は御所山県立自然公園に属する。国道 13,48号線,JR奥羽本線が通る。面積 206.94km2。人口 4万7682(2020)。

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