東方外交(読み)とうほうがいこう(英語表記)Eastern Diplomacy

旺文社世界史事典 三訂版 「東方外交」の解説

東方外交
とうほうがいこう
Eastern Diplomacy

旧西ドイツのブラント政権による対共産圏協調外交
1960年代半ば以後,米ソ協調体制が促進される中で,ソ連・東欧諸国との関係改善が進められた。1969年に組閣したブラント首相は,シェール外相と共にデタント緊張緩和)の旗手となり,ソ連・ポーランド条約を締結して武力の不行使と国境線としてのオーデル−ナイセ線を認め,72年の東西ドイツ基本条約によって東ドイツと相互承認を行った。この結果翌1973年に国連加盟を果たした。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の東方外交の言及

【ドイツ連邦共和国】より

…エアハルト時代(1963‐66)に外相となったシュレーダーは,東欧諸国との関係改善に努めるが,与党内の反対で進展せず,それは大連立政権の成立まで待たなければならなかった。66年,外相となったブラントは,本格的にソ連,東欧諸国との関係改善に着手し,東方外交の基礎を固める。69年からのSPDとFDPの新連立政権のもとで,ブラント首相とシェール外相は東方外交をもって,デタント(緊張緩和)の最前線外交を展開する。…

※「東方外交」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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