東寺百合文書(読み)トウジヒャクゴウモンジョ

デジタル大辞泉 「東寺百合文書」の意味・読み・例文・類語

とうじ‐ひゃくごうもんじょ〔‐ヒヤクガフモンジヨ〕【東寺百合文書】

東寺教王護国寺)に伝わる文書群。平安時代から江戸時代初期までの仏事や寺院経営などに関するさまざまな文書で、数は2万通を越える。名称は、加賀藩主前田綱紀が文書を収めるために百の桐箱寄進したことから。国宝。また、平成27年(2015)には世界の記憶に指定された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東寺百合文書」の意味・わかりやすい解説

東寺百合文書
とうじひゃくごうもんじょ

京都の東寺(教王護国寺)に伝存した平安~江戸時代初期までの文書。東寺が寺の運営上の必要から集積した文書で、東寺の法会(ほうえ)仏事に関するもの、荘園(しょうえん)経営を中心とした寺院経済に関するものなどである。このなかには各法会組織の議事録である引付(ひきつけ)も多数みられ、単に東寺一山の史料としてだけではなく、日本の古代中世政治、経済、社会に関する必須(ひっす)の史料である。ことに東寺の宗教活動が、鎌倉中期以降急速に活発化すること、ほとんど火災の被害にあわなかったことなどの理由から、鎌倉時代中ごろ以降の文書の残存密度が高い。江戸時代になって、加賀藩5代藩主松雲公(しょううんこう)前田綱紀(つなのり)が、この文書の目録をつくり一部を書写し、100の桐(きり)箱を寄進してこれに収めたところから百合文書と名づけられた。江戸時代以降、ことに明治の初期には、多くの寺社の文書が散逸しているが、この文書がほぼ完全な形で伝えられたのは、綱紀の百合の寄進に負うところが大きい。1967年(昭和42)に東寺から京都府に譲渡され、府立総合資料館で整理を完了、国の重要文化財に指定され一般に公開されている。指定時の文書数は2万4014通である。これ以外の東寺関係文書としては、東寺文書(東寺現蔵)、教王護国寺文書(京都大学文学部所蔵)その他があるが、これらもすべて元はこの百合文書に収められていたものである。2015年(平成27)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産(現、世界の記憶)に登録された。

[上島 有]

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百科事典マイペディア 「東寺百合文書」の意味・わかりやすい解説

東寺百合文書【とうじひゃくごうもんじょ】

京都東寺に伝来した平安時代以来の文書。東寺より京都府に譲渡され,現在府立総合資料館蔵。2万5000余通にのぼり,古代・中世の政治・経済・宗教史研究の必須史料。重要文化財。1685年加賀藩前田綱紀が整理・筆写した際に保管用桐箱100箱を寄進。東寺文書のうち,この100箱に収められた文書群をとくに〈百合文書〉と称するようになった。2015年世界記憶遺産に登録された。
→関連項目葛野荘村櫛荘

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旺文社日本史事典 三訂版 「東寺百合文書」の解説

東寺百合文書
とうじひゃくごうもんじょ

京都市東寺(教王護国寺)に伝わる古文書
平安末期から室町時代にかけての東寺領荘園の研究に不可欠の文書約4万通で,中世社会経済史の重要な史料。名称の「百合」は,1685年加賀藩主前田綱紀 (つなのり) が寄進した100個の文書箱に,片仮名・平仮名のいろはの記号を付けて古文書が収められていることによる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東寺百合文書」の解説

東寺百合文書
とうじひゃくごうもんじょ

東寺文書(とうじもんじょ)

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