東大寺開田図(読み)とうだいじかいでんず

改訂新版 世界大百科事典 「東大寺開田図」の意味・わかりやすい解説

東大寺開田図 (とうだいじかいでんず)

8世紀の東大寺荘園絵図。原図表題には〈開田地図〉〈墾田地図〉と記す。現存27図中20図は正倉院所蔵で,そのうち17図が麻布,3図が紙本。寺外の7図は1図が麻布で原図。6図が紙本で写本と推定される。国別には,越中国17図,越前国4図,近江国2図,摂津職(国)2図,阿波国2図。成立年代別には,(1)天平勝宝3年(751)の近江国2図,(2)天平勝宝8年(756)の摂津職2図,(3)天平宝字2年(758)の阿波国2図,(4)天平宝字3年(759)の越前国1図,越中国8図,(5)天平神護2年(766)の越前国3図,(6)神護景雲1年(767)の越中国9図に分類される。(1)の近江2図と(6)の越中7図はそれぞれ麻布1禎に並列記載され,(3)の阿波2図は両者貼付して一面とされている。

 田図の内容は,条里・溝とその坪ごとの開(墾)田積,荒廃田積の記載を中心とし,ときには山川池等の自然景観の描写を加え(近江2図,阿波大豆処1図,越前糞置(くそおき)村1図,同道守(ちもり)村2図,同高串村1図),端書には開田・墾田地図名と荘地の総面積,開・未開田積,荘地の四至,奥書には日付と検田作図に関与した人々の名が記載されている。この基本形態よりすると,摂津職水無瀬荘絵図は自然景観の描写を主としており,開田図とは異質といえる。

 田図記載の荘地の成立についてみると,近江2荘,摂津2荘,越中石粟荘,同井山荘は施入・寄進によるもの,越前高串荘は買得によるもの,阿波,越前,越中の諸荘は749年の東大寺派遣占野使の設定によるものである。一方,田図の成立は,近江2図は国衙の開発地田図をその地の施入とともに東大寺に移管したもの,摂津2図は756年の勅施入時に国衙において作成(郡司,国司)したもの,阿波,越前,越中の諸荘は761年と767年の班田との関係において,寺領の確保あるいは整理拡大をはかろうとして,国司・寺家,または国司・寺家・造東大寺司の立会いのもとで,検田・作成したものである。

 これらのうち,記載豊富で注目すべきものは,天平神護2年(766)の越前国足羽郡道守村開田地図で,それは同じ日付の〈越前国司解〉に添えて進上されたものである。それらには,越前国司が東大寺派遣の検田使とともに,荘地の境域を確定し,境界内の百姓口分田,墾田,没官田等を改正,相替,買得,貢進等によって寺田化し,荘地の一円支配化をはかった結果が詳細に記載されている。それは,藤原仲麻呂政権下の761年班田の際における寺領抑圧政策に対し,道鏡政権の成立とその寺院保護政策の推進を背景として,東大寺が767年の班田を控え,寺領の整理拡大を求めて太政官に申請し,実行されたものである。それらから,荘地の立地景観とその開発・水利・耕地形態,荘家と集落,百姓口分田・墾田形態,豪族墾田形態等,さらに政権の推移に伴う政策の変化について,多くの具体的知見をうることができる。

 なお現存田図は,《大日本古文書》(家わけ第十八,東大寺文書之四)として,その図録および釈文・作図が刊行され,また西岡虎之助編《日本荘園絵図集成》上に,その写真版と解説が所収されている。
荘園絵図
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