東大寺写経所(読み)とうだいじしゃきょうしょ

世界大百科事典(旧版)内の東大寺写経所の言及

【写経所】より

…(2)第1期 729‐747年(天平1‐19) 光明皇后が7世紀後半の中国の則天武后の事績に張り合って仏教興隆を進め,皇后宮職が写経所を経営し,皇后の《五月一日経》約7000巻の書写(736‐756)のほか,しばしば一切経を写した(《光明皇后願経》)。(3)第2期 748‐764年(天平20‐天平宝字8) 写経所は造東大寺司の中に組みこまれ,東大寺写経所が総称で,その全体または一部が書写仏典の種類によって写千巻経所,奉写忌日御斎会一切経所などと呼ばれた。光明皇太后の《坤宮官御願一切経》5330巻書写速度のすみやかさが著名である。…

※「東大寺写経所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」