東塔西谷(読み)とうとうにしだに

日本歴史地名大系 「東塔西谷」の解説

東塔西谷
とうとうにしだに

根本中堂の西にあり、九院の一つ山王さんのう院を谷の本堂とし、山王社を鎮守とする。京都西坂本(現京都市左京区)の西谷所属の赤山禅せきざんぜん院は円仁が入唐求法の折、山東半島にある赤山法華せきざんほつけ院の赤山明神を日本へ勧請したもので、円仁の遺命をうけた安恵が小野山おのやまの地を選び、貞観六年(八六四)に創建したという(「慈覚大師伝」「山門堂舎由緒記」、別に弘仁四年創建ともいう)。「山門堂舎由緒記」には不動堂・脱俗だつぞく院・施薬せやく院などがみえ、山坊には毘沙門堂門跡の本坊であった覚林かくりん坊をはじめ、勧学かんがく(旧玉泉坊)賢聖けんじよう院・宝樹ほうじゆ坊・護心ごしん(旧仏乗院)、穴太流密灌室の行光ぎようこう坊、地福じふく(旧本覚坊)放光ほうこう(旧中道坊・日光院)相住そうじゆう(旧浄土院)円教えんぎよう(旧吉祥院・智増院)光円こうえん(旧摩尼蔵坊・明学坊)密厳みつごん(旧自性坊)妙音みようおん(旧教林坊)常智じようち(旧大教坊)円乗えんじよう(円城院・円常院とも、旧千光院)静慮じようりよ院・玉泉ぎよくせん院など多数あるが、いずれも現存しない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報