東亜新秩序(読み)とうあしんちつじょ

精選版 日本国語大辞典 「東亜新秩序」の意味・読み・例文・類語

とうあ‐しんちつじょ【東亜新秩序】

〘名〙 日中戦争当時、日本が唱えた大陸政策遂行のための標語。昭和一三年(一九三八)一一月、第一次近衛内閣の「日満支三国の提携による東亜新秩序建設」の(第二次近衛)声明にはじまり、大東亜共栄圏構想につながるもので、太平洋戦争もその目的実現のためとされた。

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デジタル大辞泉 「東亜新秩序」の意味・読み・例文・類語

とうあ‐しんちつじょ【東亜新秩序】

日中戦争中の日本のアジア政策における標語。昭和13年(1938)第一次近衛内閣によって唱えられた。戦争の目的を日・満・華3国の結束と相互扶助防衛を実現するためのものとした。のち、大東亜共栄圏構想に発展。

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改訂新版 世界大百科事典 「東亜新秩序」の意味・わかりやすい解説

東亜新秩序 (とうあしんちつじょ)

日中戦争下における日本の中国侵略を合理化するためのイデオロギースローガン。東亜新秩序構想の萌芽は,〈帝国指導の下に日満支三国の提携共助〉の実現を決めた1933年10月21日の斎藤実内閣の閣議決定にあった。それは満州事変勃発前後の〈日満ブロック〉構想を一歩進め,〈日満支ブロック〉の実現を国策として決定したものであり,36年8月7日の広田弘毅内閣下の5相会議決定〈国策の基準〉に受け継がれた。37年7月7日に勃発した日中戦争は,日本の予想に反して長期戦となり,38年1月16日近衛文麿首相は,〈爾後国民政府を対手とせず〉,日本は〈新興支那政権の成立発展を期待する〉との声明(第1次近衛声明)を発し,国民政府との和平交渉の道をみずから閉ざした。ついで同年11月3日,近衛首相は日本の戦争目的が〈日満支三国〉の提携による東亜新秩序建設にあると声明(第2次近衛声明)した。さらに陸軍謀略により国民政府反蔣介石派の汪兆銘が重慶からハノイへ脱出した直後の12月22日には,日本と〈更生新支那〉との提携の原則は〈善隣友好,共同防共,経済提携〉にあるという近衛3原則(第3次近衛声明)を発表した。

 東亜新秩序とは,欧米帝国主義と共産主義東アジアから駆逐し,中国の抗日民族統一戦線を崩壊させ,〈日満支ブロック〉構想にもとづき日本が中国を排他的に独占支配することを合理化するためのイデオロギーであり,大東亜共栄圏構想の先駆をなすものであった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東亜新秩序」の意味・わかりやすい解説

東亜新秩序
とうあしんちつじょ

日本の大陸政策,中国侵略を正当化するためにつくり上げられたイデオロギー。 1938年 11月3日の近衛声明によって「東亜新秩序建設」が打ち出され,日満支3国の互助連環,共同防共,経済結合が唱えられたが,その実質は,日中戦争の長期化とイギリス,アメリカ合衆国との対立の激化を背景として,欧米帝国主義および共産主義排撃の名のもとに,抗戦中国の切り崩しと日満支3国を通じる戦時経済統制の強化を目指すものであった。このような政府の方針に沿って,東亜連盟論,東亜協同体論,東亜ブロック論など一連の「東亜新秩序建設」理論が,日本の大陸政策の正当化ないし修正を企図してジャーナリズムをにぎわした。のちの大東亜共栄圏論のさきがけとなった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東亜新秩序」の意味・わかりやすい解説

東亜新秩序
とうあしんちつじょ

日中戦争下に日本が唱えた日・満・華を軸とした自給的ブロック。その基本は、長期化する日中戦争を収拾するために第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣が1938年(昭和13)11月3日に発表した「東亜新秩序建設声明」にある。政治・経済・文化などにわたる日・満・華の互助連関の樹立を新秩序の根幹としたが、日本のアジア諸民族への侵略、支配を正当化するものであった。以後、南方進出の積極化に伴って拡大され、40年7月に第二次近衛内閣が発表した「基本国策要綱」に至っては、八紘一宇(はっこういちう)の精神に基づき、日・満・華を中心に南洋地域を包含した自給自足体制の確立という大東亜新経済秩序、大東亜共栄圏の主張にまで拡大された。

[小林英夫]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東亜新秩序」の解説

東亜新秩序
とうあしんちつじょ

公的には1938年(昭和13)11月の近衛内閣によるいわゆる「東亜新秩序」声明を端緒とし,以後,日本の外交政策の中心的なスローガンとなる。日・満・華の互恵平等の結合関係の設定と,経済的・政治的協力によって東アジアに新しい国際秩序を築くことが日中戦争の目標であるとしたが,その内実は中国に対する政治的・経済的支配を糊塗するための論理という側面が濃厚であった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「東亜新秩序」の解説

東亜新秩序
とうあしんちつじょ

1938年11月,近衛内閣が出した,新しい東アジア世界建設の目標
日・満・華3国の提携をうたい,欧米諸国が優位に立つ旧秩序を否定した。しかし,実質は日本中心の経済ブロック建設の構想で,侵略戦争を正当化しようとするものだった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「東亜新秩序」の解説

東亜新秩序
とうあしんちつじょ

1938年,第1次近衛文麿内閣が日中戦争に関して出した声明
日本を中心として,日・満・華を一体とした新しい社会をつくることが戦争の目標だと主張。のち大東亜共栄圏の構想につらなる。

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