精選版 日本国語大辞典 「東久邇稔彦」の意味・読み・例文・類語
ひがしくに‐なるひこ【東久邇稔彦】
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元皇族、軍人。久邇宮朝彦親王の第9子として京都に生まれる。1906年(明治39)東久邇宮家を創立。皇族の例として陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業した。夫人は明治天皇の第9皇女聡子(としこ)内親王。1920~1927年(大正9~昭和2)フランスに留学、自由主義的雰囲気に触れる。帰国後第二・第四師団長、陸軍航空本部長などを歴任、1938年第二軍司令官として華北に従軍、1941年には防衛総司令官となった。第二次世界大戦敗戦後、初の皇族首相として、終戦処理内閣を組織したが、10月4日GHQ(連合国最高司令部)の民主化指令に対応できず、総辞職した。1947年(昭和22)皇室典範等の改正で皇族の身分を離脱、その後新興宗教「ひがしくに教」の教祖として話題となった。
[宮﨑 章]
『東久邇稔彦著『東久邇日記』(1968・徳間書店)』▽『長谷川峻著『東久邇政権・五十日 終戦内閣』(1987・行研出版局)』
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旧皇族,軍人。第2次大戦直後の首相。久邇宮朝彦親王の第9王子として京都で生まれる。陸軍士官学校卒業。1920年以来,フランスに7年間留学し,自由主義の気風を身につけた。陸軍の内部で皇道派と衝突,左遷された経験をもつ。敗戦直後の45年8月17日に最初の皇族内閣を組閣し,降伏文書調印,軍隊の復員・解体などの終戦処理にあたったが,占領軍との連絡調整に限界を感じ,組閣後2ヵ月で総辞職した。47年10月皇族の身分を離れた。その後,新興宗教(ひがしくに教)の教祖にまつりあげられたこともある。
執筆者:高橋 彦博
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1887.12.3~1990.1.20
昭和期の元皇族・陸軍軍人。久邇宮朝彦親王の第九子。東久邇宮家を創立。妃は明治天皇の皇女聡子(としこ)内親王。陸軍大学校卒,1923年(大正12)フランス陸軍大学卒。軍事参議官・陸軍大将。第2次大戦後の混乱を防ぐ目的で,とくに天皇に請われて45年(昭和20)8月内閣を組織。降伏文書の調印,軍の解体などの終戦処理を実施したが,占領軍当局の急激な民主化政策に追いつけず2カ月で総辞職。47年の皇室改革で皇籍を離れ,晩年は新興宗教の開祖となるなど奔放な生活ぶりで話題をまいた。
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