東三条(読み)ひがしさんじよう

日本歴史地名大系 「東三条」の解説

東三条
ひがしさんじよう

昭和一二年(一九三七)成立した字。旧東二条ひがしにじよう七丁目・東三条七―二六丁目・帯広・下帯広・ヲベリベリ・基線・北一線。成立当時は北一―三丁目・南一―二九丁目からなる。明治二六年(一八九三)に区画測設された地域で、東二条の東に並行する南北の通りに沿う。同四二年には東二条南ひがしにじようみなみ一二丁目から東三条南二丁目に神社が移転、翌四三年から帯広神社として公認された(帯広市史)

東三条
ひがしさんじよう

[現在地名]旭川市東三条一―一一丁目

昭和二八年(一九五三)二月に新設された町。昭和七年一〇月までは永山ながやま村のうちで、同年一一月旭川市に編入された旧永山村新旭川地区に相当する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報