東トルキスタン共和国(読み)ひがしトルキスタンきょうわこく

山川 世界史小辞典 改訂新版 「東トルキスタン共和国」の解説

東トルキスタン共和国(ひがしトルキスタンきょうわこく)
Sharqī Turkistān Jumhūriyati

1944~46

新疆(しんきょう)トルコ系ムスリムによって樹立された独立国家。ムスリム反乱のなかで,1944年11月にイリ成立。反乱勢力は軍事的拡大を進めたが,国民党政府と和解し,合同で新疆省連合政府を46年に成立させた。同共和国は名目的に解消されたが,反乱勢力はその後も残存し,49年に中華人民共和国に吸収された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東トルキスタン共和国」の意味・わかりやすい解説

東トルキスタン共和国
ひがしトルキスタンきょうわこく

中国,新疆ウイグル自治区に住むウイグル族など少数民族が独立の共和国を形成しようとした際の名称。第2次世界大戦末期に,ウイグル人カザフ人が新疆ウイグル自治区の北部に「東トルキスタン人民共和国」を樹立したが,約1年で解体された。以来,この名称は忘れられていたが,90年4月,同自治区で暴動が発生,新疆日報は「東トルキスタン共和国を再興しようとした蜂起」と報じた。トルコに亡命中の元国民党系活動家アイサと反政府系少数民族との連携プレー,との見方もささやかれた。

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世界大百科事典(旧版)内の東トルキスタン共和国の言及

【新疆ウイグル自治区】より

…なお,清代にはこの地をめぐる帝政ロシアとイギリスとの争いがあり,ジュンガル盆地のイリ川流域は一時は帝政ロシア領になったりしたし,また,イスラム教徒(ドゥンガン)の再三の反乱など清朝はその統治に苦心した。中華民国時代にも,1931年ハミでのイスラム教徒の反乱があり,さらに44年にはウイグル,カザフ両族は伊寧を中心に東トルキスタン共和国を樹立したが,これは49年の新中国誕生の翌年解散し,55年10月10日ウルムチを区都とする今日の自治区の正式成立と新建設の開始をみたのである。しかし,1949年ころは全人口の約7%だった漠族が,今日では約40%を占めるにいたり,これに危機感を抱く少数民族による一部地域での独立の動きが伝えられている。…

※「東トルキスタン共和国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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