村田氏寿(読み)むらたうじひさ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「村田氏寿」の意味・わかりやすい解説

村田氏寿
むらたうじひさ
(1821―1899)

幕末・明治維新期に活躍した福井藩士通称巳三郎。1859年(安政6)家禄(かろく)150石を継ぐ。目付役、参政職などを歴任、70年(明治3)福井藩大参事となる。藩校明道館(めいどうかん)の創設以来学事に専念したが、ことに熊本藩士横井小楠(しょうなん)の招致に尽力した。62年(文久2)前藩主松平春嶽(しゅんがく)が政事総裁職につくや、これを助けて公武合体運動の推進に奔走した。廃藩後は足羽(あすわ)県参事、岐阜県権令(ごんれい)などを経て内務大丞(だいじょう)兼警保頭となり、77年退官した。

[舟澤茂樹]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村田氏寿」の解説

村田氏寿 むらた-うじひさ

1821-1899 幕末-明治時代の武士,官吏
文政4年2月24日生まれ。越前(えちぜん)福井藩士。松平慶永(よしなが)に登用され,橋本左内とともに将軍継嗣問題にはたらく。戊辰(ぼしん)戦争では会津(あいづ)攻めに功があった。のち福井県参事,内務大丞(だいじょう)。明治32年5月8日死去。79歳。字(あざな)は子慎。通称は巳三郎。号は文峯,戇堂。著作に「続再夢紀事」。

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朝日日本歴史人物事典 「村田氏寿」の解説

村田氏寿

没年:明治32.5.8(1899)
生年:文政4.2.14(1821.3.17)
幕末の越前藩(福井県)藩士。松平慶永の側近にあった。明治維新後は越前の行政を担当。明治10(1877)年公職を退き,松平家の家政運営に専心中根雪江の『再夢紀事』を受け『続再夢紀事』を編纂,慶永の事蹟を記した。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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