村櫛荘(読み)むらくしのしょう

百科事典マイペディア 「村櫛荘」の意味・わかりやすい解説

村櫛荘【むらくしのしょう】

遠江国にあった中世荘園。現在の静岡県浜松市の浜名湖東岸に比定される。正中2年(1325年)の最勝光(さいしょうこう)院領荘園目録案(東寺百合(ひゃくごう)文書)によると,もとは北条重時が領家(りょうけ)で,本年貢は100石,この当時は最勝光院(現京都市東山区)領であった。1326年後醍醐(ごだいご)天皇が最勝光院を京都東寺寄進,そのため村櫛荘は東寺領となった。したがって本家職(ほんけしき)は東寺が保持しており,領家職は南北朝期に徳大寺家が取得していた。一方,地頭職は斎藤氏が獲得しており,1352年にその3分の2を京都天竜寺に寄進しているが,天竜寺は地頭というより,実質的には領家としての存在であった。このように村櫛荘の支配は,本家−領家−地頭が重層的にからみあった複雑な様相を呈していた。室町期の年貢は一部確保されていたが,しだいに形骸化し,応仁(おうにん)・文明の乱の頃には荘園としての実体が失われた。→

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改訂新版 世界大百科事典 「村櫛荘」の意味・わかりやすい解説

村櫛荘 (むらくしのしょう)

遠江国敷智郡(現,静岡県浜松市)の最勝光院領荘園。東郷西郷がある。年貢は1325年(正中2)の目録に近年100石から60石に減とあるが,南北朝・室町期は60石が基準となる。26年(嘉暦1)東寺施入により本家職は東寺。地頭職は南北朝初期に高尾張守だったが,斎藤越前守利泰に移り,51年(正平6・観応2)に利泰の妻尼性戒は亡夫の素意により地頭職の3分の2を天竜寺に寄進,3分の1は利泰の子孫に相伝。領家職は正中2年の目録に故陸奥守重時跡とあるが,南北朝期に徳大寺家が取得。49年(正平4・貞和5)ころ本家米は地頭天竜寺より40石,領家徳大寺家より20石を上納。東寺は年貢抑留や複雑な領有関係を排そうと企てたこともある。90年(元中7・明徳1)に領家方年貢は山崎弾正左衛門清懐が領家方本家米代官となり,20石のうち半済分10石を差し引いた10石を5貫文で請け負っている。地頭方,領家方の年貢未進はあったが,年貢上納は応仁の乱の前まで保たれた。
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