精選版 日本国語大辞典 「村山槐多」の意味・読み・例文・類語
むらやま‐かいた【村山槐多】
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洋画家、詩人。明治29年9月15日、横浜市に生まれる。高知を経て4歳で京都へ一家と移り、府立第一中学校時代に従兄(いとこ)の山本鼎(かなえ)の強い感化を受け、回覧雑誌を発行し、文学と美術に早熟の異才を発揮する。1914年(大正3)中学を卒業して上京、小杉未醒(みせい)(放庵(ほうあん))の勧めで再興日本美術院洋画部の研究生になるほか、第1回二科展に『庭園の少女』(水彩)ほかを出品。翌年第2回日本美術院展覧会に『カンナと少女』(水彩)を出品、院賞を受賞した。17年日本美術院試作展覧会で『湖水と女』(油彩)、素描『コスチュームの娘』により奨励賞を受け、院友となる。また小説、詩を書き、失恋、放浪し、デカダン生活のなかで肺結核を病む。19年院試作展に『松と榎(えのき)』(油彩)ほかを出品し、美術院賞乙賞を受けたのち、2月20日満22歳で没。詩集『槐多の歌へる』が没後刊行(1928)された。
[小倉忠夫]
『山本太郎編『村山槐多全集』全一巻(1976・弥生書房)』▽『『村山槐多全画集』(1983・朝日新聞社)』▽『草野心平著『村山槐多』(1976・日動出版部)』
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洋画家,詩人。横浜に生まれ,1914年京都府立一中卒業後上京,小杉放庵宅に寄寓して日本美術院研究所に洋画を学ぶ。中学時代,文芸・詩作にふけり,従兄の洋画家山本鼎の影響をうけた。二科展,院展に出品,フォービスムを基調とする青春の哀感を表現したが,結核のため東京で夭逝。代表作《湖水の女》(1917)。没後,詩集《槐多の歌へる》(1920),《槐多の歌へる其後及び槐多の話》(1921),《槐多詩集》(1951)が刊行された。
執筆者:匠 秀夫
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(三輪英夫)
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