村上彰一(読み)むらかみ・しょういち

朝日日本歴史人物事典 「村上彰一」の解説

村上彰一

没年:大正5.1.7(1916)
生年:安政4.閏5.23(1857.7.14)
明治時代の鉄道家。大阪府西成郡国分寺村の庄屋村上藤右衛門の長男。明治11(1878)年開拓使に入庁,幌内鉄道にかかわる。16年日本鉄道会社に入社,上野駅長,運輸課貨物掛長などを歴任するが,特に貨物輸送の改善に尽力。27年上武鉄道会社(秩父鉄道)を出願。34年以降は台湾縦貫鉄道建設に関係し,停車場の設定や基隆,打狗における水陸連絡設備などで功績を残す。講演「共同一致楽を其職に求めよ」(1908)にみられるように,鉄道輸送改良生涯追求してやまなかった。

(老川慶喜)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上彰一」の解説

村上彰一 むらかみ-しょういち

1857-1916 明治-大正時代の鉄道家。
安政4年閏(うるう)5月23日生まれ。明治16年日本鉄道会社にはいる。上野駅長,運輸課貨物掛長をへて台湾総督府鉄道顧問となり,縦貫鉄道の建設にあたる。のち満鉄顧問,中華民国の交通部顧問をつとめた。大正5年1月7日死去。60歳。大坂出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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