村上三島(読み)むらかみさんとう

百科事典マイペディア 「村上三島」の意味・わかりやすい解説

村上三島【むらかみさんとう】

書家本名正一(まさかず)。愛媛県生れだが,幼少の頃に大阪府三島(みしま)郡吹田(すいた)町(現,吹田市)に移る。雅号の〈三島〉は生まれ故郷の大三島(おおみしま)と移り住んだ三島郡にちなむ。大阪府立泉尾工業学校卒業。書道家の片山万年や辻本史邑(しゆう)に師事し,1948年に日展に書の部門が新設され,これに初出品して初入選を果たす。中国の明末清初の書家である王鐸(おうたく)に傾倒しながらも,これに独特の解釈を加え,流麗で躍動感に富んだ独自の書風を確立し,一方で読める書〈調和体〉の提唱をしたことでも知られる。日本書芸院理事長,日本書道教育会議副会長などを務めた。《杜甫贈高式顔詩(とほこうしきがんにおくるし)》で1967年度日本芸術院賞を受賞。1985年に日本芸術院会員となり,1993年に文化功労者,1998年には文化勲章を受章した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「村上三島」の意味・わかりやすい解説

村上三島
むらかみさんとう

[生]1912.8.25. 愛媛,上浦
[没]2005.11.20. 大阪,吹田
書家。本名は正一。 1931年泉尾工業学校卒業。中学時代にカリエスを病んだが,辻本史邑らに師事して書の研鑽に励む。 1948年日展に初出品で入選,1949年,1952年に特選。 1955年に日展審査員に就任,同年長興会を結成。 1964年『秋分思子』で日展文部大臣賞。 1968年『杜甫贈高式顔詩』で日本芸術院賞。 1960~80年日本書芸院理事長,1969年日展理事,同顧問歴任。 1985年日本芸術院会員。王羲之王鐸を研究し,自然で格調高い筆致のなかに,自由奔放な気力を秘めた書風で,その完成度の高さは無類のものと評される。 1982年村上三島記念館開設。著書に『元好問詩』『連綿草草枕抄 三島書』など。 1993年文化功労者となり,1998年に文化勲章を授与された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上三島」の解説

村上三島 むらかみ-さんとう

1912-2005 昭和-平成時代の書家。
大正元年8月25日生まれ。辻本史邑(しゆう)に師事。日展で昭和23年特選,39年文部大臣賞。43年「杜甫贈高式顔詩」で芸術院賞。35年日本書芸院理事長となり,関西書道界の発展につくす。60年芸術院会員。平成10年文化勲章。日展理事・顧問,日本書芸院理事長などを歴任。郷里愛媛県大三島に村上三島記念館がある。平成17年11月20日死去。93歳。泉尾工業卒。本名は正一。著作に「王鐸の書法」など。

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