李輔国(読み)りほこく

世界大百科事典(旧版)内の李輔国の言及

【玄宗】より

…翌年,朔方に逃れた粛宗が即位し,上皇となった玄宗は757年(至徳2)に長安へ帰り興慶宮に入った。けれども復辟を恐れる粛宗との間に不協和音が絶えず,また玄宗側近の高力士と粛宗側近の李輔国という宦官どうしの対立もあり,760年(上元1)には西内の甘露殿に移され,幽閉同然の余生をおくり2年後の4月,悶々のうちに世を去った。至道大聖大明孝皇帝と諡(おくりな)され,陵は泰陵(陝西省蒲城県北東金粟山)という。…

※「李輔国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」