朱雀門(読み)すざくもん

精選版 日本国語大辞典 「朱雀門」の意味・読み・例文・類語

すざく‐もん【朱雀門】

中国、長安の朱雀門にならい、平城京平安京などにおいて、大内裏外郭南面の中央に設けられた門。二条大路に面し、朱雀大路北端に当たる。古くは、ここで重大な儀式も行なわれた。平安京では、東西七間戸五間であった。大伴門重閣御門。しゅじゃくもん。すざく。
続日本紀‐天平六年(734)二月癸亥「天皇御朱雀門歌垣
※宇津保(970‐999頃)楼上上「たかきものおもしろくば、すざくもん、幡幢(はたほこ)など」

しゅじゃく‐もん【朱雀門】

(平安京など、大内裏の外郭にあった門の一つ。大内裏の南面中央にあった門。「しゅしゃくもん」とも) =すざくもん(朱雀門)
※高野本平家(13C前)一「朱雀門(シュシャクもん)より始て、応田門、会昌門大極殿〈略〉一時うち灰燼の地とぞなりにける」

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デジタル大辞泉 「朱雀門」の意味・読み・例文・類語

すざく‐もん【朱雀門】

平安京大内裏外郭十二門の一。南面中央の門で、朱雀大路の起点。中国の長安の朱雀門にならったもので、平城宮などにもあった。南門。大伴門。しゅじゃくもん。

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改訂新版 世界大百科事典 「朱雀門」の意味・わかりやすい解説

朱雀門 (すざくもん)

〈しゅじゃくもん〉ともいう。平安宮の南面正門の名称。先行する平城宮にもその名称があったらしいが(《続日本紀》),それ以前の藤原宮では朱雀門の呼称の存否は史料上では確認されていない。もともと古代日本の宮では,宮城十二門と称される12の門が宮の四周につくられていたとされ,その南面正門(中央の門)は応天門とよばれ,名称の由来は古来,大伴氏が守ったためとされている。これに対して四神の一つで南を守る朱雀を冠した門の呼称は714年(和銅7)が初見で,以後《続日本紀》にみえる。平安宮では朱雀門は南面中門で宮城の大垣にひらいており,応天門はその内側にあって朝堂院の南門に位置し,別の門となっている。しかし藤原宮では発掘の結果,平安宮の応天門にあたる朝堂院南門はなく,朝堂院は直接大垣に接して宮南面中門のみがある。平城宮では,朝堂院と大垣との接続のしかたは,発掘調査では最終的に未確認で不明である。宮南面中門の発掘調査では,一応朱雀門として復元模型がつくられているが,同じ門が応天門(大伴門)といわれていた可能性はまだ残されている。

 平安宮朱雀門は《拾芥抄》によると二階建て基壇つきの建物で,7間5戸の門とされている。また門の南には二条大路北側溝にかかる橋があったことが知られている。平城宮の南面中門は発掘の結果,やはり基壇建物の5間3戸の門で両脇に脇門をもち,平城京造営以前に存在した下ッ道を遮断し,その川溝をつぶして造営されていることが判明した。藤原宮の南面中門については1968年,奈良国立文化財研究所の再発掘により平城宮と同じく5間3戸の門であったことが確認された。
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百科事典マイペディア 「朱雀門」の意味・わかりやすい解説

朱雀門【すざくもん】

平安宮の大内裏(だいり)の南面中央にある正門。《続日本紀(しょくにほんぎ)》によると,平城京にもその名称があったらしい。朱雀大路(おおじ)を通じて南の羅城(らじょう)門に対する。入母屋(いりもや)造の二重閣,朱塗で屋根は黒瓦ぶき,七間五戸の門とされる。
→関連項目応天門朝堂院

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朱雀門」の意味・わかりやすい解説

朱雀門
すざくもん

平城宮、平安宮などの宮城南面中央にある門。南門ともいう。大内裏(だいだいり)の正門で、儀式や歌垣(うたがき)が行われた。朱雀門の名称は、中国の長安城に倣ったもので、もとは大伴(おおとも)門といい、これは、飛鳥(あすか)時代から天皇警護の中心であった大伴氏の名がつけられたため、とされている。平安宮では、東西七間で戸が五間、二階建てで、瓦葺(かわらぶ)き、鵄尾(しび)を頂き、柱は赤く塗られていた。門の警備は、左右の衛門(えもん)府が共同であたったが、のちには荒廃して、盗賊のすみかになったとか、鬼や化け物が出たなどの話が残っている。

[吉田早苗]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「朱雀門」の解説

朱雀門
すざくもん

「しゅじゃくもん」とも。宮城の外郭門(宮城門)の一つで,南面中央の門。奈良時代からの呼称だが,大伴門とよばれたこともあったらしい。平安宮の朱雀門は基壇上にたち,正面7間,奥行2間で中央5間が戸となる(藤原宮・平城宮では正面5間,奥行2間で中央3間が戸)。屋根は瓦葺,2階建て,入母屋造で,宮城門では最大規模の宮城正門である。そのため重閣(ちょうかく)御門ともよぶ。平安宮の朱雀門は「伴大納言絵巻」に詳しい。毎年6月・12月の晦日には,ここで親王以下百官が参集して大祓(おおはらえ)が行われた。平城宮朱雀門は1998年(平成10)に復原された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朱雀門」の意味・わかりやすい解説

朱雀門
すざくもん

平城京平安京大内裏南面中央にある正門。朱雀大路から宮城への入口にあり,さらに北行すると八省院の入口である応天門に通じる。瓦ぶき2層閣の門。唐の都長安の南面皇城門を朱雀門と呼んだのにならい,孝徳天皇 (→称徳天皇 ) の長柄豊碕 (ながらのとよさき) 宮にも建造された。

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世界大百科事典(旧版)内の朱雀門の言及

【朱雀大路】より

…日本の古代都城において,京を東の左京と西の右京に二分する大路。平城京,平安京では京の正門羅城門と宮の正門朱雀門をつなぐ。〈しゅじゃくおおじ〉ともいう。…

【朱雀門】より

…平安宮の南面正門の名称。先行する平城宮にもその名称があったらしいが(《続日本紀》),それ以前の藤原宮では朱雀門の呼称の存否は史料上では確認されていない。もともと古代日本の宮では,宮城十二門と称される12の門が宮の四周につくられていたとされ,その南面正門(中央の門)は応天門とよばれ,名称の由来は古来,大伴氏が守ったためとされている。…

【応天門】より

…もともと大伴氏が守ったもので大伴門とも称された。平安宮の場合には,応天門の南には宮城十二門(宮城外郭にある)の一つである朱雀(すざく)門が別に存在した。ところが藤原宮の発掘成果では,朝集殿南方には宮城門(南面中央門)が一つしかないことが判明した。…

※「朱雀門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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