朱雀大路(読み)スザクオオジ

デジタル大辞泉 「朱雀大路」の意味・読み・例文・類語

すざく‐おおじ〔‐おほぢ〕【朱雀大路】

平城京長岡京平安京で、中央南北に通じる大路大内裏南面中央の朱雀門から、都城南端羅城門に至り、これより東を左京、西を右京とする。しゅじゃくおおじ。

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精選版 日本国語大辞典 「朱雀大路」の意味・読み・例文・類語

すざく‐おおじ ‥おほぢ【朱雀大路】

中国の長安の都にならった平城京、長岡京、平安京など、都城の中央を南北に通ずる大路。大内裏南面中央の朱雀門から、都城南端の羅城(らしょうもん)に至り、これより東を左京、西を右京とする。平安京においては、幅員二八丈(約八四メートル)で、街路樹に柳が植えられていた。京都市の千本通がほぼこれに当たる。なお、東京極のさらに東に東朱雀大路があり、それと区別して西朱雀大路と呼ぶことがある。しゅじゃくおおじ。すざか。すざく。〔延喜式(927)〕

しゅじゃく‐おおじ ‥おほぢ【朱雀大路】

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改訂新版 世界大百科事典 「朱雀大路」の意味・わかりやすい解説

朱雀大路 (すざくおおじ)

日本の古代都城において,京を東の左京と西の右京に二分する大路。平城京,平安京では京の正門羅城門と宮の正門朱雀門をつなぐ。〈しゅじゃくおおじ〉ともいう。唐の都長安の朱雀街にならって設けた。京中の大路の中で,中央大路として最も重視され,幅員も最大で,路面幅で藤原京が19m,平城京,平安京が70mである。儀礼空間としても利用され,歌垣,雨乞い,除災の仏事,貧窮者への賜物などを行うことがあった。維持・管理についても特別扱いされ,清掃や街路樹の手入れのための人夫を置いた。道路両側には溝を掘り,その外側に左・右京一坊の築地塀が走る。築地塀には坊ごとに坊門を開く。居住者は公卿などを除き大路に面して門を開けなかった。平城京,平安京では街路樹に柳を植えた。平城京の例では路面は舗装されていないが,雨の排水のためにかまぼこ状に作っている。平安京の例では路幅が広すぎるため,夜には狼が走り,盗賊巣窟となり,また牛馬が放し飼いされることもあった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朱雀大路」の意味・わかりやすい解説

朱雀大路
すざくおおじ

日本古代の都城の中央を南北に通じる主要道路。藤原京(幅24メートル)、平城京(幅72メートル)、平安京(幅83メートル)にみられる。内裏(だいり)、諸官庁のある大内裏の南面中央に朱雀門があり、そこと京の南端の九条大路中央に位置する羅城(らじょう)門とを結ぶ大路。都城はこの道路によって東西に分けられ、左京、右京とよばれた。

[明石一紀]

『上田正昭編『日本古代文化の探究――都城』(1976・社会思想社)』


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百科事典マイペディア 「朱雀大路」の意味・わかりやすい解説

朱雀大路【すざくおおじ】

平城京・平安京などの古代都城(とじょう)における大路。大内裏(だいり)南面中央の朱雀門から南に走って羅城(らじょう)門に至る。平城京・平安京では長さはともに約3.7km,幅約85m。両側に溝がある。大路の東側が左京,西側が右京。儀式や祝祭にこの大路が使われた。なお朱雀は〈しゅじゃく〉とも読む。
→関連項目上ッ道・中ッ道・下ッ道鳥羽作道

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「朱雀大路」の解説

朱雀大路
すざくおおじ

朱雀路・朱雀道とも。京の中心街路。朱雀門を北端に,羅城門を南端にし,京を東の左京と西の右京に二分する。初見は「続日本紀」和銅3年(710)1月条だが,難波京・藤原京にも存在した。宮城の正面に位置する重要な街路で,さまざまな儀式・仏事などが営まれ,維持・管理にはとくに注意が払われた。規模は「延喜式」に詳しいが,発掘調査によると藤原京で両側溝心々間距離は約24m,路面幅約18m,平城京で両側溝心々間距離は約73.4~74m,路面幅約67.3mである。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朱雀大路」の意味・わかりやすい解説

朱雀大路
すざくおおじ

平城京平安京の中央を南北に縦貫する道路。大内裏外郭南面の朱雀門から,その南極の羅城門 (羅生門) に通じる。長さ約 3.7km,幅約 85m。朱雀大路により東側の左京と,西側の右京とに分けられる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「朱雀大路」の解説

朱雀大路
すざくおおじ

古代の都城で,大内裏中央正面の朱雀門から真南の羅城門までの大路
都の中央なのでその東を左京,西を右京という。平安京では,幅約85m,今の京都市千本通りにあたる。

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世界大百科事典(旧版)内の朱雀大路の言及

【朱雀院】より

…平安初期の後院の一つ。平安京内では邸宅の少ない右京の四条以北で,朱雀大路に沿って西に位置し,8町という広大な面積を占めていた。創始は嵯峨天皇が譲位後の御所として造営したものと考えられる。…

【朱雀大路】より

…日本の古代都城において,京を東の左京と西の右京に二分する大路。平城京,平安京では京の正門羅城門と宮の正門朱雀門をつなぐ。〈しゅじゃくおおじ〉ともいう。唐の都長安の朱雀街にならって設けた。京中の大路の中で,中央大路として最も重視され,幅員も最大で,路面幅で藤原京が19m,平城京,平安京が70mである。儀礼空間としても利用され,歌垣,雨乞い,除災の仏事,貧窮者への賜物などを行うことがあった。維持・管理についても特別扱いされ,清掃や街路樹の手入れのための人夫を置いた。…

【大路】より

…平安京では,東西の大路として一条~九条の諸路と,土御門,近衛,中御門,大炊御門の諸路があり,南北の大路として東京極,東洞院,西洞院,大宮,壬生,朱雀,西大宮,道祖,木辻,西京極の諸路があった。このうち朱雀大路は28丈,そのほかは17丈,12丈,10丈,8丈の幅があり,柳の並木があった。大路は晴れの道路であったから,公家や武家の公式の行列には必ず大路が用いられた。…

【上ッ道・中ッ道・下ッ道】より

…中ッ道と下ッ道は,藤原京の東・西京極大路に利用された。また,下ッ道はその路幅を拡張して,平城京の朱雀大路となったし,奈良盆地における条里施行の基準線でもあった。これら3道の道沿いには,国府・郡家(ぐうけ)が想定でき,古社寺も分布している。…

【広場】より

… 都市空間を視覚的に美的に秩序づける美観広場もしくは記念広場は日本の歴史都市には見いだせない。平安京の朱雀大路は幅85mの壮大なものであり儀式的な広場であるとみなせるが,このような空間は以後の日本の都市では主要な空間要素としては定着しなかった。市民が参集する集会広場もまた日本の都市には生まれなかった広場である。…

※「朱雀大路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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