本郷座(読み)ほんごうざ

改訂新版 世界大百科事典 「本郷座」の意味・わかりやすい解説

本郷座 (ほんごうざ)

東京本郷春木町にあった劇場。1873年(明治6)奥田座の名称で開場。座元は奥田登一郎であった。ほどなく不況に陥り春木座改称片岡我童(10世仁左衛門)・我当(11世仁左衛門)兄弟の人気で一時栄えたが,再び苦境に入った。85年大阪の興行師鳥熊(三田村熊吉)が乗り込み,約1年であったが値安芝居で大当り,東京中に値安芝居のブームを巻き起こした。90年類焼,翌年再建,以後中どころの役者で毎月興行を続けたが苦しく,96年春木座株式会社を設立した。98年再び類焼,翌年再築開場,1902年3月本郷座と改称している。03年4月藤沢浅次郎主演の《不如帰(ほととぎす)》が当り,以後新派本城となり本郷座時代と呼ばれている。10年松竹が買収,関東大地震で被災,24年復興したが,30年4月から映画館に転向,45年戦災で焼失,以後復活しなかった。
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世界大百科事典(旧版)内の本郷座の言及

【劇場】より

…関東大震災による劇界の被害は,東京市内で〈焼失した劇場は二十八場,活動写真館は四十三館〉(《新演芸》大正13年1月号の〈東都劇壇震災史〉)に及ぶ。
[劇場の多様化]
 震災後に,復興または新しく建設されたおもな劇場は,24年に本郷座・演伎座・松竹座・市村座・帝国劇場・邦楽座に前記の築地小劇場,25年の歌舞伎座とつづく。25年に新たに新橋演舞場,30年に大阪四ッ橋の文楽座や東京劇場,32年に大阪歌舞伎座,33年に有楽町の日本劇場,34年に東京宝塚劇場,35年に有楽座,37年に浅草の国際劇場などが次々に竣工した。…

【新派】より

…04年から明治末まで数年間,《想夫恋》《高野聖》《乳姉妹(ちきようだい)》《己が罪》《俠艶録(きようえんろく)》《通夜物語》《婦系図》など,尾崎紅葉,泉鏡花,菊池幽芳,渡辺霞亭らの新聞小説の劇化と,畠山古瓶(こへい),花房柳外,田口掬汀(きくてい),小栗風葉,柳川春葉,小島孤舟,佐藤紅緑らの作者が脚本を書き,俳優としては井上正夫,福島清,村田正雄,山崎長之輔,英太郎,木下吉之助,山田九州男,藤村秀夫らが輩出した。全盛期には松竹によって〈本郷座〉でしばしば新派大合同公演がもたれ,そこは〈新派のメッカ〉といわれた。 しかし,川上は11年に没し,またその間,坪内逍遥の文芸協会,小山内薫・2代市川左団次提携の自由劇場など新劇運動が開始され,またさらに帝劇の開場などもあって女優の活躍が始まると,女形芸で家庭悲劇を描く新派のパターン化した芝居は行きづまりを見せる。…

【高田実】より

…96年大阪で喜多村緑郎らと成美団を結成,関西新派の頭目として活躍した。のち帰京して本郷座の座頭俳優となり,新派全盛のいわゆる本郷座時代を樹立した。《金色夜叉》の荒尾譲介,《己が罪》の作兵衛,《琵琶歌》の三蔵が当り役。…

※「本郷座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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