本歌取り
ほんかどり
歌学用語。典拠のしっかりした古歌 (本歌) の一部を取って新たな歌を詠み,本歌を連想させて歌にふくらみをもたせる技法。「苦しくも降りくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに」 (『万葉集』) を本歌として「駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮」 (『新古今集』) が詠まれるなどがその例。『万葉集』『古今集』にもこれに類する方法は行われていたが,平安時代末期,藤原俊成の頃から意識的に行われた。藤原定家はその技法を規定し,(1) 本歌は三代集またはその時代のすぐれた歌人の歌に限る,(2) 本歌の2句と3~4字程度の長さを取るのがよい,(3) 取った句の位置は本歌と異なるのがよい,(4) 春の歌を取って恋の歌を詠むというように主題を変えるのがよいとした。時代が下がるにつれ,本歌の範囲は広がり,細かくその方法が論じられて,中世ではごく普通に用いられる技法だった。なお物語や漢詩文に典拠をもつ場合は「本説 (ほんぜつ) 」があるといい,漢詩文の場合は「本文 (ほんもん) 」があるともいう。和歌だけでなく,連歌でも行われた。
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デジタル大辞泉
「本歌取り」の意味・読み・例文・類語
ほんか‐どり【本歌取り】
和歌・連歌などで、古歌の語句・趣向などを取り入れて作歌すること。新古今時代に盛んに行われた。藤原定家が「苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに」〈万・二六五〉を本歌として「駒とめて袖うちはらふかげもなしさののわたりの雪の夕暮れ」〈新古今・冬〉と詠んだ類。
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本歌取り【ほんかどり】
和歌の修辞法の一つ。古歌を素材にとり入れて新しく作歌すること。とられた古歌を本歌という。古歌の1句もしくは数句を素材として新しい表現に用い,表現効果の複雑化を意図するので,余情の表現に適している。平安中期以来行われ,新古今時代に盛行,連歌にもうけつがれた。
→関連項目新古今調
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ほんかどり【本歌取り】
歌学用語。古歌の1句または2句を自作にとり入れ,表現効果の重層化を意図する修辞法。そのとられた古歌を本歌という。長い歴史のうちで自然に成長してきた技巧で,たとえば《古今和歌集》巻二の紀貫之の歌〈三輪山をしかも隠すか春霞人に知られぬ花や咲くらむ〉は,《万葉集》巻一の額田王の歌〈三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなもかくさふべしや〉を本歌にしている。この例あたりを早いものとして,少しずつ例が増加する。しかし,このころはまだ修辞的な技巧としては意識されていない。
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世界大百科事典内の本歌取りの言及
【源氏物語】より
…また,特にたとえば恋の高潮点に達した場合などには,意識的に五七調,六七調のごときリズミカルな文体に整えられる。またいわゆる〈本歌取り〉の技法が頻用されて,一つの場面効果を周知の古歌の持つイメージと二重写しにして拡大しようとすることも多い。自然描写にも,個々の事物を即物的,具体的に客観描写することはなく,草木,山野,風雨,日月,音響などすべてが一体化して醸し出す気分が包摂的にとらえられる。…
【新古今和歌集】より
…古典和歌の史的変遷を映しだすとともに,その必然の帰結として当時の新風を誇示する気迫が示されている。〈幽玄〉体と称された新風は,俊成・定家父子の創造,ことに定家の独創に影響され,技法としては本歌取りの極限的な活用が志向された。古典和歌の1首または2首を本歌として取り,その再構成をはかる。…
※「本歌取り」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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