本朝神仙伝(読み)ほんちょうしんせんでん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「本朝神仙伝」の意味・わかりやすい解説

本朝神仙伝
ほんちょうしんせんでん

漢の劉向(りゅうこう)撰『列仙伝』や晋の葛洪(かっこう)撰『神仙伝』に倣(なら)いつつ、日本(本朝)で奇瑞を現し神仙となったとされる37人の伝記を集めた漢籍翻案書。著者は大江匡房(おおえのまさふさ)。1098年(承徳2)頃成立。収録対象は在俗者だけでなく僧侶にもおよび、その地位や身分も多岐にわたる。在俗者では上宮太子(じょうぐうたいし)(聖徳太子)や武内宿禰(たけのうちのすくね)などの高位のものから、名も知れぬ侍や童(わらわ)にまで、僧侶では空海・円仁ら名の知れた高僧だけでなく、役行者(えんのぎょうじゃ)・日蔵(にちぞう)・泰澄(たいちょう)ら山林修行者や民間宗教者にまでおよぶ。中国の神仙譚(しんせんたん)と違い、在地の神祇信仰と結びつく傾向が強く、同じ匡房著『本朝往生伝』とともに、中世以後盛んとなる神仏習合(しんぶつしゅうごう)・本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想の萌芽がうかがえるテキストとして注目される。

[深沢 徹]

『井上光貞・大曾根章介校注『日本思想大系 往生伝・法華験記』(1995・岩波書店)』『中前正志著「神仙への憧憬―『本朝神仙伝』と『本朝列仙伝』」(『国文学 解釈と教材の研究40-12』所収・1995・学燈社)』『菅原信海著『日本思想と神仏習合』(1996・春秋社)』

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百科事典マイペディア 「本朝神仙伝」の意味・わかりやすい解説

本朝神仙伝【ほんちょうしんせんでん】

平安後期,大江匡房によって書かれた日本最初の神仙説話集。大東急記念文庫蔵本の目録によれば,倭武命(やまとたけるのみこと)(日本武尊),上宮太子(聖徳太子)に始まる全37話だが,現在まで完本は発見されず,諸伝本を併せてもなお7話文の本文は見出しえない。記事は断片的で,仏教色が強い。諸書に見える湯河玄円の《日本神仙記》は本書の注釈書か。日本の神仙説話は1686年刊行の《本朝列仙伝》までこの後長く現れず,その《本朝列仙伝》も本書を見ていないらしい。

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改訂新版 世界大百科事典 「本朝神仙伝」の意味・わかりやすい解説

本朝神仙伝 (ほんちょうしんせんでん)

大江匡房(1041-1111)撰。成立年代は不明。完本はなく31人の伝が現存する。正史・僧伝・縁起口伝を素材とし,撰者が神仙と判断した人々の伝を集めたものである。中国の神仙と同様の性格でとらえられるが,中国では神仙に加えなかった仏教者,空海・円仁などの高僧や,役行者(えんのぎようじや)・日蔵・泰澄ら山林での苦行によって験力を獲得した民間の仏教者の霊験譚を中心に収録する。
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世界大百科事典(旧版)内の本朝神仙伝の言及

【大江匡房】より

…神儒仏道にひろく通じ,諸道兼学の啓蒙的百科全書家ともいえよう。わが国の神仙と目される37人の伝を記した《本朝神仙伝》,慶滋保胤(よししげのやすたね)の《日本往生極楽記》のあとを継ぎ,寛和以後の往生人42人の伝を録した《続本朝往生伝》は唱導文学のうえで,また彼の言談を蔵人藤原実兼が筆録したものといわれる《江談(ごうだん)》(《江談抄》)は説話文学のうえで,彼の制作した願文115編を撰録した《江都督納言願文(ごうととくどうげんがんもん)集》とともに院政期文学史の流れの中で注目すべき遺産である。そのほか彼の作品は《朝野群載》《本朝続文粋》などに,自照的な《暮年詩記》,批評文学としての《詩境記》,院政期の庶民生活をつづった《対馬貢銀記》《遊女記》《狐媚記》《傀儡子記(くぐつき)》《筥崎宮記(はこざきぐうき)》《洛陽田楽記》などの特色ある作品が見られる。…

※「本朝神仙伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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