20世紀日本人名事典 「本山 彦一」の解説
本山 彦一
モトヤマ ヒコイチ
明治・大正期の新聞人 毎日新聞社社長。
- 生年
- 嘉永6年8月10日(1853年)
- 没年
- 昭和7(1932)年12月30日
- 出生地
- 肥後国熊本城下東子飼(現・熊本県熊本市)
- 学歴〔年〕
- 三叉学舎
- 経歴
- 三叉学舎で洋学を学んだあと福沢諭吉に師事。25歳で書いた「條約改正論」が外字新聞にも転載されて認められた。兵庫県勧業課長、神戸師範学校長を経て、明治15年大阪新報に入社。時事新報で会計局長まで務めた後、大阪の藤田組支配人となったが、22年大阪毎日新聞の創刊で相談役として迎えられ、36年社長に就任。以後経営合理化の一方、不偏不党、読みやすさ、実益中心などの編集方針を立て、大衆紙としての毎日新聞を方向づける。その後44年には東京日日新聞を買収して東京進出を果たし、死去するまで30年近くも社長の座にあった。この間、昭和5年には勅選貴族院議員に選ばれている。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報