本多光太郎(読み)ホンダコウタロウ

デジタル大辞泉 「本多光太郎」の意味・読み・例文・類語

ほんだ‐こうたろう〔‐クワウタラウ〕【本多光太郎】

[1870~1954]物理学者冶金やきん学者。愛知の生まれ。東北大教授・同大学総長。金属材料を研究し、KS鋼新KS鋼発明文化勲章受章。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「本多光太郎」の意味・読み・例文・類語

ほんだ‐こうたろう【本多光太郎】

物理学者。愛知県出身。ドイツ留学後、金属冶金学を研究、永久磁石鋼であるKS鋼、および新KS鋼を発明した。昭和一二年(一九三七)文化勲章受章。著書「物理学本論」など。明治三~昭和二九年(一八七〇‐一九五四

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「本多光太郎」の意味・わかりやすい解説

本多光太郎
ほんだこうたろう
(1870―1954)

物理学者。愛知県矢作(やはぎ)町(現、岡崎市)生まれ。1897年(明治30)東京帝国大学理科大学物理学科を卒業、大学院に進み1906年(明治39)理学博士学位を得た。翌1907年、東北帝国大学教授に内定、同年ドイツに留学。1911年帰国して東北帝大教授の職につき、1919年(大正8)には同大学附属鉄鋼研究所(のち金属材料研究所)所長、1922年金属材料研究所所長となり、1931年(昭和6)同大学総長に就任した。1949年からは東京理科大学学長。

 東京帝大では長岡半太郎指導磁気歪(じきひずみ)を研究し、のち鉄鋼および鉄合金の物理冶金学(やきんがく)的研究を進めた。1916年(大正5)高木弘(たかぎひろむ)(1886―1967)とともにKS磁石鋼を発明した。これは当時最優秀とされたタングステン磁石鋼と比べて保磁力が4倍ほども大きな永久磁石であった。KSというのは研究援助者の住友吉左衛門(すみともきちざえもん)(15代友純(ともいと)、1865―1926)の頭(かしら)文字をとったものである。しかしこの発明は日本では工業化されず、そのアメリカ特許権はウエスタン・エレクトリック社(現、アルカテル・ルーセント社)に譲渡され、アメリカで実用化された。この磁石は1931年に三島徳七MK鋼、1933年に本多と増本量(ますもとはかる)、白川勇記(しらかわゆうき)によって新KS鋼が発明されるまで世界でもっとも優れた永久磁石であった。

 彼の多くの門下から国際的業績が生まれ、東北大金属材料研究所は、この分野における世界のメッカとなった。1937年(昭和12)日本金属学会創立とともに初代会長に就任。帝国学士院賞(1916)、第1回文化勲章(1937)を受けた。

[山崎俊雄]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「本多光太郎」の意味・わかりやすい解説

本多光太郎 (ほんだこうたろう)
生没年:1870-1954(明治3-昭和29)

金属学研究に物理学の方法を導入して,金属物理学および物理冶金学の分野を開いた物理学者。愛知県の農家に生まれ,1897年東京帝国大学理学部物理学科卒業。1901年講師,07-11年外国留学。大学院・講師時代は長岡半太郎の指導下で強磁性金属の磁化,応力,ひずみの相互関係について,外国ではゲッティンゲン大学のタンマンG.Tammann(1861-1938)のもとで2元合金の磁性,ベルリンではデュボアH.DuBois(1863-1918)のもとで43種の元素単体の磁性とその温度変化についてそれぞれ研究した。帰国後,ただちに東北帝国大学理科大学(新設)教授となり,磁気分析,電気抵抗測定などの物理学的研究方法を活用した鉄鋼の状態図,変態,焼入硬化機構の研究,鉄属元素化合物の磁性の実験的研究を広範に行うとともに,磁性について分子磁石理論を追求した。その結果,セメンタイトのA0(磁気)変態点を確認し,鉄のA2変態が相変態ではなく磁気変態であることを確証して,β鉄論争に決着をつけた(1916,帝国学士院賞)。第1次大戦中より大学への研究所設置に努力し,16年東北帝大に新設の臨時理化学研究所第2部の研究主任となり,同年高木弘の協力で強力な永久磁石鋼KS鋼を発明した。本多はこの研究所の業績を社会へ紹介し,その拡充に努めた(1919年鉄鋼研究所,22年金属材料研究所)。本多とその門下は,強磁性体論の発展に寄与する実験成果や各種合金の状態図作成の成果をあげるとともに,多数の新種特殊性質合金の開発に成功して,基礎研究の重要性を社会に認識させた。本多は鉄鋼学の工業界ならびに一般社会への普及にも努めた。31-40年東北帝国大学総長,37年日本金属学会を創立して,初代会長となる。同年第1回文化勲章を受ける。44-47年金属材料研究所長事務取扱として戦時研究を指導した。49-53年東京理科大学学長。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本多光太郎」の意味・わかりやすい解説

本多光太郎
ほんだこうたろう

[生]明治3(1870).2.23. 愛知
[没]1954.2.12. 東京
物理学者,冶金学者。東京帝国大学物理学科卒業 (1897) 。 1907年からドイツ,イギリス,フランスに留学,東北帝国大学理科大学教授 (1911) 。同大学金属材料研究所所長 (22) 。東北帝国大学総長 (31) 。退官後は 49~53年まで東京理科大学学長をつとめた。長岡半太郎とともに磁歪 (じわい) を研究,分子磁石説を提唱。 16年タングステン鋼にコバルトを添加することにより,安価で耐性のよい強力な磁石用合金 (KS鋼) を発明,33年さらに強力なネオ KS鋼を発明。 37年文化勲章受章。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「本多光太郎」の意味・わかりやすい解説

本多光太郎【ほんだこうたろう】

物理学者。愛知県生れ。1897年東大物理学科を出て,1907年―1911年ヨーロッパ留学,1911年東北大教授。1922年金属材料研究所を創設し所長となり,1931年―1940年東北大総長。初め長岡半太郎の指導下に磁気を研究,やがて鉄鋼・鉄合金の研究に進み,1917年強力な磁石鋼KS鋼,1933年さらに強力なN(新)KS鋼を発明。1937年第1回文化勲章。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多光太郎」の解説

本多光太郎 ほんだ-こうたろう

1870-1954 明治-昭和時代の物理学者,金属学者。
明治3年2月23日生まれ。44年東北帝大教授。大正8年同大付属鉄鋼研究所(のち金属材料研究所)所長となり,昭和6年同大総長。強力磁石鋼のKS鋼,新KS鋼を発明し,またすぐれた後進をそだてた。大正5年学士院賞。昭和12年文化勲章。24年東京理大初代学長。昭和29年2月12日死去。83歳。三河(愛知県)出身。東京帝大卒。
【格言など】今が大切,努めて止(や)むな(研究生活での口癖)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「本多光太郎」の解説

本多光太郎
ほんだこうたろう

1870.2.23~1954.2.12

明治~昭和期の冶金学者。愛知県出身。東大卒。ドイツに留学。東北帝国大学教授,のち総長。磁気分析法によって鉄鋼の本質的解明を進め,多くの人材を育成した。金属材料研究所を設置し,多くの成果をあげ,強力磁石鋼のKS鋼や新KS鋼の発明で知られる。特殊鋼の研究を通じて,第1次大戦中は軍需部門からの要請に応じた。日本金属学会会長。ベッセマー賞・学士院賞・文化勲章をうけた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「本多光太郎」の解説

本多光太郎
ほんだこうたろう

1870〜1954
明治〜昭和期の物理学者
愛知県の生まれ。東大卒。長岡半太郎の指導で磁気ひずみの実験的研究を行い,ドイツ留学後,鉄鋼および鉄合金の物理冶金学的研究に進み,KS鋼(1917),新KS鋼('33)を発明。'22年金属材料研究所を設立し,初代所長となる。鉄鋼学の世界的権威者。'31〜41年,東北大総長。'37年,第1回文化勲章受章。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android