木村鐙子(読み)きむらとうこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木村鐙子」の意味・わかりやすい解説

木村鐙子
きむらとうこ

[生]嘉永1(1848).6.26. 江戸
[没]1886.8.18.
女子教育家。儒者佐藤一斎は曾祖父にあたり,田口卯吉は弟。慶応1 (1865) 年幕臣木村熊二と結婚。徳川幕府崩壊後,一家離散,横浜,静岡と居を移す。明治3 (70) 年熊二は渡米し,ホープカレッジ,ニューブランスウィック改革派神学校を修了し,1882年9月帰朝。この間鐙子は 13年間にわたって留守宅守り,田中卯吉宅に同居し,『日本開化小史』『東京経済雑誌』出版の仕事に助力した。同年 12月下谷教会にて G.H.F.フルベッキより受洗。 85年9月熊二の明治女学校創設の際には,責任者の一人として積極的に協力。 86年コレラのため急逝

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「木村鐙子」の解説

木村鐙子

没年:明治19.8.18(1886)
生年:嘉永1.6.26(1848.7.26)
明治初期の教育者。江戸に生まれる。幕臣井上(田口)耕三とまちの第3子。田口卯吉は異父弟。夫木村熊二の影響を受け受洗,教会内に婦人会をつくる。明治18(1885)年,明治女学校を設立,取締となる。生活の改良にも関心を持ち婦人束髪会幹事となる。東京婦人矯風会前身,婦人禁酒会を設立したが,志半ばでコレラにより急逝。<参考文献>巌本善治『木村鐙子小伝』,東京女子大学比較文化研究所編『木村熊二・鐙子往復書簡』

(山田よし恵)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村鐙子」の解説

木村鐙子 きむら-とうこ

1848-1886 明治時代の教育者。
嘉永(かえい)元年6月26日生まれ。田口卯吉(うきち)の姉。木村熊二の妻。夫のアメリカ留学中,弟卯吉の「大日本人名辞書編集をたすける。明治15年帰国した夫の影響をうけ,フルベッキより受洗。18年明治女学校創立にくわわり取締をつとめた。明治19年8月18日コレラのため急逝。39歳。江戸出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android