20世紀日本人名事典 「木村 緑平」の解説 木村 緑平キムラ リョクヘイ 大正・昭和期の俳人,医師 生年明治21(1888)年10月22日 没年昭和43(1968)年1月14日 出生地福岡柳川市 本名木村 好栄(キムラ ヨシマサ) 学歴〔年〕長崎医専卒 経歴昭和2年糸田村の明治鉱業豊国炭鉱中央病院、13年赤池炭鉱病院、のち田川で炭坑医をつとめる。大正5年頃知り合った種田山頭火の親友として物心両面でよく援助した。昭和25年妻ツネを亡くし、翌年フイと再婚。すずめの俳人として知られ、句集に「雀のゐる窓」「雀の言葉」や遺句集「雀の生涯」などがある。他にフイが脳いっ血で倒れた後の「看護日記(十柿舎日記の改題)」。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報