木挽町狩野(読み)こびきちょうかのう

精選版 日本国語大辞典 「木挽町狩野」の意味・読み・例文・類語

こびきちょう‐かのう こびきチャウ‥【木挽町狩野】

〘名〙 江戸幕府絵師狩野派一流奥絵師四家の一つ狩野孝信(たかのぶ)次男、尚信(なおのぶ)を祖とし、安永六年(一七七七)典信(みちのぶ)田沼意次から木挽町土地を賜わり屋敷を移したところからの称。

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デジタル大辞泉 「木挽町狩野」の意味・読み・例文・類語

こびきちょう‐かのう〔こびきチヤウ‐〕【木挽町狩野】

江戸幕府の奥絵師狩野派四家の一。狩野尚信に始まり、木挽町に居を定めたのでこの名がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木挽町狩野」の意味・わかりやすい解説

木挽町狩野
こびきちょうかのう

奥絵師四家の一つ。寛永7 (1630) 年狩野尚信が江戸幕府の御用絵師拝命竹川町屋敷地拝領して祖となる。栄川院典信が田沼意次の寵を受け,木挽町の武家屋敷を下賜されてからこの名で呼ばれる。幕末期には最も隆盛。のちに狩野芳崖橋本雅邦が出て,近代日本画の母体となった。

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世界大百科事典(旧版)内の木挽町狩野の言及

【狩野尚信】より

…探幽とともに日光東照宮本殿や聖衆来迎寺の障壁画を描く。彼が基礎を作った木挽町狩野は子の常信がさらに発展させ,この子孫が江戸狩野の中でも最も繁栄した。尚信の画風には,兄探幽の創始した江戸狩野様式の影響を深く受けながらも,一種文人的な情趣が認められる。…

【狩野派】より

…探幽は21年に幕府から鍛冶橋門外に屋敷を拝領したので,後に鍛冶橋狩野家と呼ばれた。尚信は30年に竹川町に屋敷を拝領し,子の常信のときに木挽町に移ったので木挽町狩野家と呼ばれ,宗家の安信は寛永年間(1624‐44)中橋狩野家をひらいた。ここに狩野家の中心は江戸に移り,山楽系の京狩野に対して江戸狩野と呼ばれる。…

※「木挽町狩野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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