世界大百科事典(旧版)内の木崎原の言及
【えびの[市]】より
…市域の中心を東西約20km,南北約5kmの細長い形の加久藤盆地(真幸盆地ともいう)が占め,盆地内を川内(せんだい)川が西流する。同市飯野地区の木崎原は中世の日向において,伊東氏と島津氏が決戦した古戦場で,この戦い以後伊東氏は衰退,島津氏は日向支配のきっかけをつかんだ。同市は近世には薩摩藩領であった。…
※「木崎原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…市域の中心を東西約20km,南北約5kmの細長い形の加久藤盆地(真幸盆地ともいう)が占め,盆地内を川内(せんだい)川が西流する。同市飯野地区の木崎原は中世の日向において,伊東氏と島津氏が決戦した古戦場で,この戦い以後伊東氏は衰退,島津氏は日向支配のきっかけをつかんだ。同市は近世には薩摩藩領であった。…
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