木口小平(読み)きぐちこへい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「木口小平」の意味・わかりやすい解説

木口小平
きぐちこへい
(1872―1894)

日清(にっしん)戦争戦死した陸軍兵卒。明治5年8月8日、岡山県川上郡成羽(なりわ)村(現、高梁(たかはし)市)に農家のひとり息子として誕生。小学校を中退鉱山で働き、1892年(明治25)広島歩兵第二一連隊第三大隊第一二中隊に二等卒として入営ラッパ手となり日清戦争従軍、1894年7月29日緒戦成歓戦闘で戦死した。22歳。国定修身教科書で「シンデモラッパヲクチカラハナシマセンデシタ」と「義勇忠義」が紹介され著名となる。しかし「美談」のラッパ手は当初、同県出身の白神源次郎(しらがげんじろう)と報道されており、事実は不明である。

[成田龍一]

『西川宏著『ラッパ手の最後』(1984・青木書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「木口小平」の意味・わかりやすい解説

木口小平 (きぐちこへい)
生没年:1872か73-94(明治5か6-27)

日清戦争の緒戦で戦死した陸軍兵卒で,死んでもラッパを口から離さなかった忠勇美談の主として国定修身教科書(1904)にのせられた。岡山県川上郡成羽村出身,広島の歩兵21連隊3大隊12中隊の二等卒,1894年7月29日の成歓の戦闘に安城の渡で敵弾胸部に受けて戦死。軍歌《安城の渡》が作られ流行した。当時の報道では美談のラッパ手名は一等卒白神源次郎と伝えられている。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木口小平」の解説

木口小平 きぐち-こへい

1872-1894 明治時代の軍人。
明治5年8月8日生まれ。陸軍二等兵。日清(にっしん)戦争にらっぱ手として従軍,明治27年7月29日朝鮮成歓で戦死。23歳。国定修身教科書に登場し,死んでもらっぱを口からはなさなかったとして忠勇をたたえられた。しかし当初の報道では美談の主として白神(しらが)源次郎の名があがっており,事実関係は不明。岡山県出身。

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朝日日本歴史人物事典 「木口小平」の解説

木口小平

没年:明治27.7.29(1894)
生年:明治5.8.8(1872.9.10)
日清戦争(1894)で軍人の模範とされた陸軍兵卒。日清戦争に際しラッパ卒として出征,成歓の戦で突撃ラッパを吹奏中敵弾のため戦死。その行為が勇気,忠義の鑑とされ,尋常小学校の教科書を通じ流布される。極秘戦史『日清戦史』に木口に関する記録がないので,フィクションの可能性が高い。

(田中宏巳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木口小平」の意味・わかりやすい解説

木口小平
きぐちこへい

[生]1872. 岡山
[没]1894.7.29. 朝鮮,成歓
軍人。日清戦争中,安城渡の戦いで,歩兵 21連隊ラッパ手としてラッパを吹きつつ突撃中,左肺に敵弾が当り戦死。 1910年から尋常小学校1学年用の国定修身教科書に忠義の手本として「シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」と,取上げられた。

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