木内石亭(読み)きうちせきてい

精選版 日本国語大辞典 「木内石亭」の意味・読み・例文・類語

きうち‐せきてい【木内石亭】

江戸中・後期鉱物学者。石の収集家。名は重暁。通称幾六、小繁(こはん)近江滋賀県)の人。京都の津島如蘭に本草学を学ぶ。のち全国を歩いて奇石を収集、研究し、鉱物学、考古学化石学に貢献。著に「雲根志」「曲玉問答」「石亭石譜」など。享保九~文化五年(一七二四‐一八〇八

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デジタル大辞泉 「木内石亭」の意味・読み・例文・類語

きうち‐せきてい【木内石亭】

[1725~1808]江戸後期の鉱物学者。近江おうみの人。名は重暁しげあき。姓は「きのうち」とも読む。全国の奇石を収集・研究し、鉱物学・化石学・考古学に貢献。著「雲根志」など。

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朝日日本歴史人物事典 「木内石亭」の解説

木内石亭

没年:文化5.3.11(1808.4.6)
生年:享保9.12.1(1725.1.14)
江戸中期の弄石家。幼名幾六,名は重暁,通称小繁,石亭は号。拾井家に生まれたが近江国山田郷(草津市北山田)の母の実家木内家を継いだ。幼いときから珍奇な石を好み,宝暦(1751~64)のころから物産学者津島如蘭に本草学を学び,京坂,江戸その他各地の本草家,物産家と交流し,物産会でも活躍。弄石社を結成し,奇石を各地に訪ね,収集採集も盛んに行った。これら収集歴訪をもとに独自に鉱石類を分類し,『雲根志』3編(1772~1801),また1320種の蔵石を記録した『蔵石目録』(1811)などを著した。当時流行の弄石の大家であるが,学問的な態度で,石鏃人工説をとるなど実証的見解を示し,わが国の鉱物学,考古学の先駆的研究をしたと評される。シーボルトの『日本』の石器,勾玉の記述は彼の業績の引用。上記のほか『曲玉問答』『天狗爪石奇談』『竜骨記』の著書がある。<参考文献>中川泉三編『石之長者木内石亭全集』全6巻,斎藤忠『木内石亭』

(菊池俊彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木内石亭」の解説

木内石亭 きのうち-せきてい

1725*-1808 江戸時代中期-後期の博物家。
享保(きょうほう)9年12月1日生まれ。津島恒之進に物産学をまなぶ。諸国で採集・見聞した奇石・珍石を分類し「雲根志(うんこんし)」をあらわす。鉱石・化石・石器もふくまれ,鉱物学・古生物学・考古学上の先駆的な業績とされる。文化5年3月11日死去。85歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。本姓は拾井(ひろい)。名は重暁(しげあき)。通称は小繁(こはん)。著作に「鏃石(ぞくせき)伝記」「神代石(じんだいいし)之図」など。
【格言など】阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみやくさんぼだい)の仏たちならしめ給へ金持ちの子に(辞世)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木内石亭」の意味・わかりやすい解説

木内石亭
きうちせきてい

[生]享保9(1724).12.1. 近江,坂本
[没]文化5(1808).3.11. 草津
江戸時代の鉱物学者,奇石収集家。拾井家に生れ,母方の木内家養子となり,のち分家。石亭は号。諱は重暁,通称幾六,のち小繁と改める。珍石,奇石,鉱石,化石などを収集し,分類研究して図集多数を著わした。『雲根志』 (3編 15巻,1773~1801) がある。

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百科事典マイペディア 「木内石亭」の意味・わかりやすい解説

木内石亭【きうちせきてい】

江戸時代の愛石家,鉱物学者。本名は重暁。近江(おうみ)坂本の人。各地を旅行して集めた奇石を分類して《雲根志》を著し,化石類,一般鉱物,各種石器類を解説。日本における先史学研究の先駆となった。

木内石亭【きのうちせきてい】

木内(きうち)石亭

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旺文社日本史事典 三訂版 「木内石亭」の解説

木内石亭
きうちせきてい

1724〜1808
江戸中期の奇石収集家
近江(滋賀県)坂本の人。本草学を学んだ。のち全国各地の石器・石製品を収集し,鉱物学・考古学に影響を与えた。主著に『雲根志』『奇石産誌』など。

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367日誕生日大事典 「木内石亭」の解説

木内石亭 (きうちせきてい)

生年月日:1724年12月1日
江戸時代中期;後期の弄石家
1808年没

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世界大百科事典(旧版)内の木内石亭の言及

【雲根志】より

…木内石亭(1724‐1808)の著した石に関する博物誌。前編,後編,および三編があり,それぞれ1773年(安永2),79年,1801年(享和1)に大坂で出版され,その後版を重ねた。…

【博物学】より

…享保年間(1716‐36)には幕府の殖産興業政策によって物産学が盛んになり,博物学のすそ野が拡大された。この時期には田村藍水,平賀源内,小野蘭山,宇田川榕菴らの学者のほか,《目八譜》の武蔵石寿,《毛介綺煥(もうかいきかん)》《昆虫胥化(しよか)図》の肥後藩主細川重賢,《雲根志》の木内石亭,木村蒹葭堂(けんかどう)などのアマチュア博物学者も活躍した。 一方,17世紀からは断片的ではあるが西洋博物学の知識も入りはじめ,中でもドドネウスの《草木誌》とヨンストンの《動物図説》は当時の本草学に大きな影響を与えた。…

【宝石】より

…19世紀末フランスの作家ユイスマンスも逸すべからざる人で,その作品《さかしま》《大伽藍》で宝石について論じている。日本の江戸時代に,初めて鉱物に関する本《雲根志》を出版した石の収集家,近江の木内石亭の名も忘れずに記しておこう。【澁澤 龍
[伝承]
 宝石は古代より人類にとって魅惑的なものとして存在し,宝飾として用いられたのみならず,神秘的な魔力を秘めたものとして護符や魔よけに用いられてきた。…

※「木内石亭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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