木下 尚江(読み)キノシタ ナオエ

20世紀日本人名事典 「木下 尚江」の解説

木下 尚江
キノシタ ナオエ

明治〜昭和期のキリスト教社会主義者,小説家,新聞記者,社会運動家



生年
明治2年9月8日(1869年)

没年
昭和12(1937)年11月5日

出生地
信濃国松本天白町(現・長野県松本市)

別名
筆名=樹蔭生,緑鬢翁,松野翠,残陽生

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)邦語法律科〔明治21年〕卒

経歴
郷里で弁護士開業、明治26年信府日報の主筆となり、30年中村太八郎らと普選運動を行い検挙された。32年上京して毎日新聞社に入り、廃娼運動足尾鉱毒事件、星亨筆誅事件、天皇制批判の論説で活躍した。34年安部磯雄、幸徳秋水らと社会民主党の創立に参加。また幸徳らの週刊「平民新聞」を支援、日露非戦論を展開した。この時期に小説「火の柱」(37年)「良人の自白」(37〜39年)などを発表。35年総選挙に立候補したが落選。38年東京で立候補したが官憲圧迫が強く演説会すら開けず、日比谷焼打事件で平民新聞は発行停止、平民社は解散に追い込まれた。38年石川三四郎らとキリスト教社会主義を唱導して雑誌「新紀元」を発刊、時事評論の筆をふるった。39年以降母に死別打撃も加わり、心機一転、社会主義を捨て、毎日新聞を退き、「新紀元」を廃刊伊香保転居。小説「霊か肉か」を書き、次いで三河島に隠栖、「乞食」を書いた。43年岡田虎二郎の下で静坐法の修行に入った。「木下尚江集」(全4巻 春秋社)、「木下尚江著作集」(全15巻 明治文献社)、「木下尚江全集」(全20巻 教文館)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「木下 尚江」の解説

木下 尚江 (きのした なおえ)

生年月日:1869年9月8日
明治時代-昭和時代ジャーナリスト;小説家
1937年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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