朝比奈泰彦(読み)アサヒナヤスヒコ

デジタル大辞泉 「朝比奈泰彦」の意味・読み・例文・類語

あさひな‐やすひこ【朝比奈泰彦】

[1881~1975]薬学者。東京の生まれ。欧州に留学。地衣類成分など、植物化学・生薬学分野の独創的な研究業績あげた。文化勲章受章。著「地衣類」など。

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精選版 日本国語大辞典 「朝比奈泰彦」の意味・読み・例文・類語

あさひな‐やすひこ【朝比奈泰彦】

薬学者、植物学者。薬学博士。東京に生まれる。生薬学、植物化学の分野を発展させ、地衣植物の成分研究、分類学的研究に業績をあげる。学士院賞、文化勲章を受けた。著「地衣研究」など。明治一四~昭和五〇年(一八八一‐一九七五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝比奈泰彦」の意味・わかりやすい解説

朝比奈泰彦
あさひなやすひこ
(1881―1975)

薬学者。東京・本所に生まれる。東京帝国大学出身。薬学博士。チューリヒウィルシュテッターに、ついでベルリンフィッシャーに学ぶ。東大助教授を経て教授となり、下山順一郎の生薬学講座を継承。和漢薬を中心とした化学的研究により1923年(大正12)帝国学士院恩賜賞を受賞した。帝国学士院会員。樟脳(しょうのう)の生体内酸化成績体ビタカンファーを創製。未開の地衣成分の特異な本質を次々に解明し、天然物化学における体系を明らかにした。地衣採集に80歳まで各地高山地帯を踏破した。東大名誉教授。文化勲章受章(1943)、文化功労者。日本薬学会、ドイツ化学会名誉会員。ドイツ学士院会員。薬理研究会理事長。第二次世界大戦後宮内庁より正倉院薬物調査を委託された。主著に『地衣類』ほかがあり、『正倉院薬物』を監修した。

[根本曽代子]

『根本曽代子編『朝比奈泰彦伝』(1966・広川書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝比奈泰彦」の意味・わかりやすい解説

朝比奈泰彦
あさひなやすひこ

[生]1881.4.16. 東京
[没]1975.6.30. 東京
薬学者。東京帝国大学医科大学薬学科卒業 (1905) 。スイス,ドイツに留学し R.ウィルシュテッターおよび E.フィッシャーに師事 (09~12) 。東京大学教授,資源科学研究所所長などを歴任。多くの植物成分の分離,構造決定,特に地衣類植物成分の化学的研究に多くの成果をあげ,その成果は柴田承二との共著"Chemistry of Lichen Substances" (54) にまとめられている。 1923年帝国学士院賞受賞,30年帝国学士院会員,43年文化勲章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝比奈泰彦」の解説

朝比奈泰彦 あさひな-やすひこ

1881-1975 明治-昭和時代の薬学者。
明治14年4月16日生まれ。42年渡欧してウィルシュテッターやフィッシャーにまなぶ。帰国後,母校東京帝大の教授。和漢薬の薬効成分,地衣類の研究で知られた。大正12年学士院恩賜賞。昭和18年文化勲章。戦後,正倉院薬物調査にたずさわった。昭和50年6月30日死去。94歳。東京出身。著作に「日本の地衣」,編著に「正倉院薬物」など。

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百科事典マイペディア 「朝比奈泰彦」の意味・わかりやすい解説

朝比奈泰彦【あさひなやすひこ】

有機化学者。東京の生れ。1905年東大薬学科卒,1909年ヨーロッパ留学,帰国後東大教授となり,主として漢薬の化学成分を研究,1923年学士院恩賜賞。ビタカンファーを発見,地衣類その他各種植物成分を研究,1943年文化勲章。

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