日本大百科全書(ニッポニカ) 「望月圭介」の意味・わかりやすい解説
望月圭介
もちづきけいすけ
(1867―1941)
明治・大正・昭和期の政党政治家。慶応(けいおう)3年2月27日広島県に生まれる。家業は海運業。攻玉社(こうぎょくしゃ)、共立学校、明治英学校に学ぶ。1898年(明治31)8月の第6回総選挙以来、衆議院議員に13回当選。原敬(たかし)内閣期の政友会幹事長。田中義一(ぎいち)内閣の逓相(ていしょう)・内相。田中の死後、岡崎邦輔(くにすけ)とともに政友会の長老的存在であったが、鈴木喜三郎(きさぶろう)総裁ら主流派への反発を強め、1935年(昭和10)5月党議に反し岡田啓介(けいすけ)内閣の内閣審議会委員になり除名。同年9月逓相として入閣し、12月内田信也(のぶや)、山崎達之輔(たつのすけ)らと昭和会を組織。1939年政友会分裂後、政友会に復帰、中島派に属し、翌1940年米内光政(よないみつまさ)内閣の参議となった。翌昭和16年1月1日死去。
[榎本勝巳]
『伝記編纂委員会編・刊『望月圭介伝』(1945)』