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作曲家。大阪府生まれ。大阪実践商業を卒業。在学中に大阪ミナミのうなぎ屋の出雲(いずも)屋少年音楽隊に入る。1926年(大正15)大阪放送のフィルハーモニックオーケストラに入団し、指揮者エマヌエル・メッテルから作曲理論と指揮法を学ぶ。また、カフェやダンスホールでバンドマンとしてジャズを演奏。1933年(昭和8)東京に出て、1936年日本コロムビアに専属作曲家として入社。淡谷のり子の吹き込んだ『別れのブルース』『雨のブルース』が大ヒット、続いて『湖畔の宿』『蘇州夜曲』もヒットした。反骨精神から軍歌をつくらず、『夜のプラットホーム』は退廃的と発売禁止になった。戦後は笠置(かさぎ)シヅ子の『東京ブギウギ』『買物ブギウギ』、さらに『銀座カンカン娘』『青い山脈』とヒットを連発した。作曲数は3000曲を超える。日本作曲家協会長、日本音楽著作権協会長を歴任。1993年(平成5)国民栄誉賞を受賞。著書に『ぼくの音楽人生』。平成5年1月30日没。
[編集部]
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[ジャズ歌謡]
昭和に入ってまもなく,ビクター,コロムビア等外国のレコード会社が日本に進出し,ジャズ等ポピュラー音楽がどんどん輸入され,《君恋し》(時雨音羽作詞,佐々紅華作曲,1928)等ジャズのリズムをもった曲が作られるようになった。外国系リズムやフィーリングをもった伴奏の上に歌謡曲の旋律をのせてゆくスタイルを完成させたのは服部良一で,《別れのブルース》(藤浦洸作詞,1937)では,ブルースのブームをひきおこした。終戦後はアメリカからブギウギ,ロックンロール等新しいリズムが入るたびに,そのリズムを基調とする〈ポップス系歌謡曲〉が作られ,若者たちをとらえる一方,伝統的な演歌が中高年層をとらえるという二極化がはじまる。…
※「服部良一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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