服部伸(読み)はっとりしん

改訂新版 世界大百科事典 「服部伸」の意味・わかりやすい解説

服部伸 (はっとりしん)
生没年:1880-1974(明治13-昭和49)

講談師本名辰次郎。東京生れ。はじめ一心亭辰雄の名の浪曲師で,たんかのよさで売ったが,のどを痛めて1935年講談転向長谷川伸の名をもらい服部伸となった。《一本刀(いつぽんがたな)土俵入》《関の弥太っぺ》などの長谷川伸作品,それ以外では《は組小町》《大石東下り》などを得意にし,めりはりのきいた読み口で,90歳をこすまで高座をつとめていた。62年には芸術祭大賞をとっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「服部伸」の意味・わかりやすい解説

服部伸
はっとりしん
(1880―1974)

浪曲師、講釈師。東京・浅草生まれ。本名服部辰次郎(たつじろう)。12歳のとき、関東浪花節(なにわぶし)の祖である浪花亭駒吉(こまきち)に弟子入りし、駒子(こまこ)の名をもらい末弟子ながら将来を嘱望されていたが、1903年(明治36)浪花亭を返上し、一心亭辰雄(いっしんていたつお)と名のって独立。「節(ふし)の奈良丸啖呵(たんか)の辰雄声のよいのが雲右衛門(くもえもん)」とうたわれた。晩年、節で声を張ることができなくなり、35年(昭和10)講談に転向して服部伸を名のり、94歳で没するまで芸界の第一線で活躍した。

[秩父久方]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「服部伸」の解説

服部伸 はっとり-しん

1880-1974 明治-昭和時代の浪曲師,講談師。
明治13年6月2日生まれ。浪曲師一心亭辰雄として啖呵(たんか)のよさで人気をえたが,昭和10年のどをいためて講談に転向,長谷川伸から名をもらって改名。「一本刀土俵入」「大石東下り」などを得意とし,90歳すぎまで高座をつとめた。昭和49年12月14日死去。94歳。東京出身。本名は辰次郎。

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世界大百科事典(旧版)内の服部伸の言及

【関の弥太っぺ】より

…主人公の関の弥太郎は,のちに島田正吾の当り役になった。長谷川伸に心酔していた講釈師服部伸(1880‐1974。この名も長谷川から1字もらったもの)がゆずりうけて講談化し,十八番としたほか,浪曲化もされて天才少女浪曲家といわれた春日井おかめ(1957引退)が演じたりしたのも,股旅ものの典型である題材が,これらの芸にふさわしかったからである。…

※「服部伸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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